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2011年2月8日 『中国ミステリ史 第四章』では、1970年代末から1990年代までの中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を紹介している。 目次 第四章 1970年代末~1990年代: 翻訳ブームと中国ミステリの多様化第一節 日本の社会派推理小説が中国でもブームに 第二節 中国ミステリの多様化 第三節 1990年代末の中国翻訳ミステリ事情 第四節 邦訳された1980年代~1990年代の中国推理小説 参考文献 第四章 1970年代末~1990年代: 翻訳ブームと中国ミステリの多様化 第一節 日本の社会派推理小説が中国でもブームに この「中国ミステリ史」では触れていないが、井波律子(2003)『中国ミステリー探訪 ― 千年の事件簿から』で詳しく述べられているように、中国には欧米ミステリ受容以前から、1000年を越える長いミステリ(的なもの)の伝統がそもそもあった(またそれは、日本が欧米ミステリを受け入れる以前から、日本の物語様式に影響を与えていた)。そして19世紀末からの中国ミステリの歴史は、国外から新たに入ってきたミステリ様式と、もともと持っていたミステリ様式との止揚の歴史であった。 中国に訪れた国外からの第一の波は、19世紀末にアジアで翻訳小説文化が花開くと同時に流入したホームズやルパンなどの欧米ミステリであり、それを受容した結果、程小青(てい しょうせい)と孫了紅(そん りょうこう)の青紅コンビを中心とする上海探偵小説の時代が幕を開けた。第二の波は、社会状況の変化によって突如大挙して押し寄せてきたソ連の反スパイ小説であり、それは中国では反特小説となり、文革下ではその変異形が"写本"の形で流通した。 そして、文化大革命終結後、中国に第三の波が訪れる。その中心となったのは、日本の社会派推理小説である。前掲の李長声(2002)「中国のミステリー事情」によれば、この頃には、こんなフレーズが流行したという。「若者の愛読書は、アメリカのラブ・ストーリーと日本の推理」。 1970年代末に文化大革命が終結すると、中国も次第に文化の鎖国状態を解き、翻訳小説も刊行されるようになる。1979年に刊行された雑誌『訳林』(译林)創刊号にはアガサ・クリスティ『ナイルに死す』(1937)が翻訳掲載されたが、これがこの種の作品に飢えていた民衆の需要に合致し、いくら刷っても売り切れ、最終的には100万部以上を売り上げたという。 この時期に訪れた翻訳ブームでは、すでに中華人民共和国成立の1949年以前から多く訳されていた欧米の黄金時代の探偵小説やその後流入したソ連の反スパイ小説のほか、日本の推理小説や欧米のハードボイルドなどが大量に刊行された。翻訳された日本の作品には江戸川乱歩の作品なども含まれていたが、社会性のあるミステリが特に受け、松本清張、森村誠一、水上勉らの作品が人気を集めた。 ソ連や東欧の作家では、ソ連のアナトーリィ・ベズーグロフ(阿纳托利·别祖格洛夫)、ユーリイ・クラロフ(尤利·克拉洛夫)、ロマン・キム(金罗曼)、ブルガリアのボゴミール・ライノフ(博戈米尔·拉伊诺夫)、アンドレイ・グリャシキ(安德烈·古利亚什基)、チェコのVáclav Folprecht(瓦茨拉夫·福尔普列特、Вацлав Фолпрехт)らの作品が翻訳刊行された。 1970年代末のアジアの動向 日本では1975年から1979年にかけて、島崎博が編集長を務める探偵小説専門誌『幻影城』が刊行されていた。 台湾では1977年4月、松本清張『ゼロの焦点』が翻訳刊行されている。日本ミステリの台湾での翻訳刊行はこれが最初だった。台湾ではこの7年後の1984年、傅博(ふはく/フーボー/=島崎博)の提案を受けて林仏児(りん ふつじ/リン フォー)が『推理雑誌』を創刊し、台湾ミステリの草創期が始まる。台湾についてはこのページではなく、後に別のページでまとめる。 韓国では1977年、翻訳ミステリの叢書である《東西推理文庫》全126巻(欧米ミステリの日本語からの重訳)と《河西推理選書》全36巻(江戸川乱歩『孤島の鬼』『陰獣』、横溝正史『本陣殺人事件』、松本清張『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』、森村誠一『高層の死角』『人間の証明』『野性の証明』などのほか、韓国オリジナルの作品も含まれる→ラインナップ)の刊行が始まり、韓国ミステリ中興の祖である金聖鍾(キム・ソンジョン)の活躍と相まって推理小説ブームが訪れた。(金聖鍾(キム・ソンジョン):邦訳に『最後の証人』(論創社、2009年)などがある) インドネシアは産油国であるため1970年代に「オイルブーム」(日本では「オイルショック」)が訪れ出版界が活況となり、ホームズ受容期以来の2度目の推理小説ブームが訪れた。1970年代末にはアガサ・クリスティなどの作品が刊行され、その翻訳をしていたS・マラ・Gd(エス・マラ・ゲーデー)が1985年に推理作家デビューする。(S・マラ・Gd(エス・マラ・ゲーデー):邦訳に『殺意の架け橋』(講談社、2010年)がある) 第二節 中国ミステリの多様化 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)(2009)「百年華文推理簡史 八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(上)」、「八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(中)」、「八、“文革”後的偵探小説創作浪潮(下)」】 過去に中国語に翻訳された作品が再び読めるようになり、また新たに国外から大量のミステリが入ってきたことから、中国ミステリも社会派、サスペンス、SFミステリなど、多種多様な作品が生まれるようになる。 (以下、「推理之門」に掲載されている作品リストに作家名からリンクを貼っている(ただし、やや情報が古い)) 藍瑪(らん ば/ラン マー/Lan Ma/蓝玛)(1951 - )(ブログ)北京偵探推理文芸協会(第五章参照)副会長。現代中国の代表的な推理作家。北京生まれ。1987年に創作開始。1992年以降、英米ミステリの趣を持ったユーモアミステリ・探偵桑楚(サンチュー)シリーズを執筆している。老蔡(ラオツァイ)(2009)では、「(2009年)現在でも創作を続けている数少ない専業探偵小説作家の一人」と紹介されている。作品に、「天国は遠くない(天堂并不遥远)」、「地獄のドアを敲く音(地狱的敲门声)」、「アイドル失踪の夜(女明星失踪之夜)」など。2009年までに出版した長編ミステリは50作品、中短編は20作品で、現在までの中国のミステリ作家の中でも屈指の作品数である。中国国内では文学賞や推理小説賞を何度も受賞している。また、児童文学でも高い評価を受けている。 李迪(り てき/リー ディー/Li Di)(1950 - )北京生まれ。1970年に創作開始。1978年には自費で日本に留学し、帰国後、専業作家に。1984年に雑誌『啄木鳥』(啄木鸟)に掲載された短編「夕暮れにドアをノックする女(傍晚敲门的女人)」は社会に衝撃を与えた。同作品で翌年、第1回金盾賞受賞(この賞は、のちに啄木鳥文学賞に改称)。またこの作品は、1998年に実施された第1回北京偵探推理文芸協会賞(第五章参照)の旧作部門で佳作賞を受賞している。 王朔(おう さく/ワン シュオ/Wang Shuo)英訳された著書に『玩的就是心跳』(Playing for Thrills)や『千万別把我当人』(千万别把我当人、"Please Don't Call Me Human")などがある。このうち、"Playing for Thrills"は、桐野夏生や宮部みゆきなどの日本の作品と並んで、イギリスの推理作家キャサリン・サンプソンが選ぶアジアミステリーベスト10(2007年、イギリスの新聞「ガーディアン」に掲載)にも選ばれている。ほかにフランス語やドイツ語にも作品が訳されている。 鍾源(しょう げん/ジョン ユアン/Zhong Yuan/钟源)(1941 - )(ブログ) 1979年より作品の発表開始。80年代の推理小説界の人気作家。映画化も多くされた。短編「夕峰古刹」で第1回北京偵探推理文芸協会賞・旧作部門の佳作賞受賞。 湯保華(とう ほか/タン バオフア/Tang Baohua/汤保华)(1949 - ) 1977年より創作開始。文革の時期を背景とする作品を書いている。 莫懐戚(ぼ かいせき/モー ファイチー/Mo Huaiqi/莫怀戚)(1951 - ) 「東方のホームズ」シリーズ(东方福尔摩斯探案集)を執筆している。 師承燕(し しょうえん/シー チョンイエン/Shi Chengyan/师承燕) 1982年、青海師範学院中文系卒業。 劉侗(りゅう とう/リウ トン/Liu Tong/刘侗) 1984年、蘭州大学中文系卒業。 馮華(ふう か/フォン フア/Feng Hua/冯华)(1973 - ) フランス語訳に"Seul demeure son parfum"がある(原題未調査)。 創作とともにミステリ史の研究や理論研究などを行う作家に以下の3人がいる。 何家弘(か かこう/ホー ジアホン/He Jiahong)(1953 - )中国の現代推理作家で初めて、作品のフランス語訳、イタリア語訳が刊行された作家。北京生まれ。米国ノースウェスタン大学に留学し、法学博士号取得。「洪鈞(こうきん/ホンジュン)弁護士」シリーズを発表するほか、海外作品の翻訳も多く行う。『瘋女』(疯女)で第1回北京偵探推理文芸協会賞旧作部門ノミネート賞。この作品は2001年、"Crime de sang"(血の犯罪)というタイトルでフランスで、"La donna pazza"(英訳すると"The crazy woman")というタイトルでイタリアで刊行された。特にフランスでは好評をもって迎えられ、続いて"L'énigme de la pierre Oeil-de-Dragon"、"Le mystérieux tableau ancien"、"Crimes et délits à la Bourse de Pékin"などが訳されている(原題未調査)。また、"Crime de sang"(瘋女)は、前述のイギリスの推理作家キャサリン・サンプソンが選ぶアジアミステリーベスト10にも選ばれている。2010年には『瘋女』を『血之罪』と改題の上、改訂版を出している。ほかに、「人生狭路:黒蝙蝠·白蝙蝠」(人生狭路:黑蝙蝠·白蝙蝠)で第2回(2001年)北京偵探推理文芸協会賞ノミネート賞。北京偵探推理文芸協会理事。 曹正文(そう せいぶん/ツァオ ジョンウェン/Cao Zhengwen)(1950 - )上海生まれ。心理探偵小説を執筆。「紫色的誘惑」(紫色的诱惑)で第1回北京偵探推理文芸協会賞・旧作部門の佳作賞受賞。研究書に『世界偵探小説史略』(世界侦探小说史略、1998)がある。 陳翼浦(ちん よくほ/チェン イープー/Chen Yipu/陈翼浦)(1940 - )北京生まれ。1993年より探偵小説の創作を開始。「錯乱人生」(错乱人生)で第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の三等賞。「情死真相」で第2回同賞ノミネート賞。 理論研究ではほかに、1996年の黄沢新(こう たくしん/ファン ゾーシン)ほかによる『偵探小説学』(侦探小说学)、2001年の任翔(にん しょう/レン シャン)『偵探小説史論』(侦探小说史论)などが出ている。また、SF小説との結節点には以下のような作家がいる。 倪匡(げい きょう/ニー クアン/Ni Kuang)(1935 - )上海生まれ。香港で著作活動。邦訳に『猫 - NINE LIVES』(徳間文庫、1991年、「衛斯理」名義)がある。武田雅哉、林久之『中国科学幻想文学館』(大修館書店、2001年)に詳細あり。 葉永烈(よう えいれつ/イエ ヨンリエ/Ye Yonglie/叶永烈)(1940 - )(ブログ)1980年代に科学を取り入れた少年向けの探偵もので人気を博した。『中国科学幻想文学館』に詳細あり。 警察機構とのつながり 警察官 兼 小説家(中国では「公安作家」と呼ばれる)尹曙生(いん しょせい/イン シューション/Yin Shusheng)(1937 - ) 王建武(おう けんぶ/ワン ジエンウー/Wang Jianwu)(1953 - ) 1980年代初頭から創作を開始。「小橋疑案」(小桥疑案)で第2回北京偵探推理文芸協会賞優秀賞。 海岩(かい がん/ハイ イェン/Hai Yan)(1954 - )(ブログ) 短編「私服刑事」(便衣警察、1985)などがある。 彭祖貽(ぼう そい/ポン ズーイー/Peng Zuyi/彭祖贻)(1956 - ) 北京偵探推理文芸協会特別会員。1970年代に創作を開始し、80年代半ばから、警察を題材にした推理小説を書いている。「天国への夢旅行(天堂梦旅)」で第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の三等賞。 孫麗萌(そん れいもう/スン リーモン/Sun Limeng/孙丽萌)(1957 - ) 1984年より創作開始。「血象」で金盾文学賞および第1回北京偵探推理文芸協会賞・新作部門の二等賞受賞。 胡玥(こ げつ/フー ユエ/Hu Yue)(1964 - )(ブログ) 胡祖富(こ そふ/フー ズーフー/Hu Zufu) 「地火」など。 李長声(2002)によると、2002年当時、推理小説を掲載している雑誌としては『啄木鳥』(1985年創刊)、『警壇風雲』、『警方』、『警苑』、『藍盾』、『東方剣』、『金盾』、『警探』などがあった。ただし、これらはほとんどが警察機構のもとにある雑誌であり、必ずしも自由ではなかったという。老蔡(2009)によれば、文革終結後の20年間、推理小説専門雑誌はなく、単行本やアンソロジー以外では発表の場はこれらの警察機構のもとにある雑誌しかなかった。そのため、中国ミステリは確かに多様化はしつつあったが、公安法制小説がその大部分を占め、発展の方向も一方向的であったという。(公安法制小説=中国に私立探偵が存在できなくなった1949年以降の中国ミステリを称してこのように言う場合がある。警察官などの公的機関に属する主人公が、法律や制度に基づいて犯罪を捜査するタイプの小説のことである) 20世紀の中国ミステリの短編を集めた前述のアンソロジー『20世紀中国偵探小説精選』(2002年、全4巻)で、この時期を対象とする第3巻および第4巻の収録作は以下のとおりである。『20世纪中国侦探小说精选(1980-2000) 夕峰古刹』李迪「傍晚敲門的女人」(傍晚敲门的女人) 湯保華「紅色荘園」(红色庄园) 鍾源「夕峰古刹」 藍瑪「仏羅倫薩来客」(佛罗伦萨来客)(フィレンツェ来客) 彭祖貽「氷層下的火焔」(冰层下的火焰) 『20世纪中国侦探小说精选(1980-2000) 饮鸩情人节』(飲鴆情人節)余華(よ か/ユイ ホア/Yu Hua/余华)「河辺的錯誤」(河边的错误) ※ 余華 … 邦訳に『兄弟』(文春文庫、2010年)などがある。 葉兆言(よう ちょうげん/イエ ジャオイエン/Ye Zhaoyan/叶兆言)「危険女人」(危险女人) 刁斗(ちょう とう/ディアオ ドウ/Diao Dou)「六面骰子」 (香港)鄭炳南(てい へいなん/ジョン ビンナン/Zheng Bingnan/郑炳南)「不招人忌是庸才」 莫懐戚「飲鴆情人節」(饮鸩情人节) 張和平(ちょう わへい/ジャン ホーピン/Zhang Heping/张和平)「黒色憤怒」(黑色愤怒) 尹曙生「教授之死」 翼浦(=陳翼浦)「禍満五福楼」(祸满五福楼) 陳鉄軍(ちん てつぐん/チェン ティエジュン/Chen Tiejun/陈铁军)「激情殺人」(激情杀人) 張策(ちょう さく/ジャン ツォー/Zhang Ce/张策)「無悔最終」(无悔最终) 孫麗萌「月隕」(月陨) 王炳輝(おう へいき/ワン ビンフイ/Wang Binghui/王炳辉)「血色柔情」 王建武「最後的佳作」(最后的佳作) 第三節 1990年代末の中国翻訳ミステリ事情 上で述べたように、文革が終了すると、中国では過去に翻訳した作品の復刊も含め、翻訳ミステリの刊行ブームが起こった。しかし、1990年代初頭に中国が国際的な著作権条約に加盟すると、以降は翻訳は下火になる。古典的名作は刊行が続いたが、国外の新しいミステリはあまり翻訳されなくなってしまった。 李長声(2002)では、90年代末ごろの中国における日本ミステリの刊行状況が記されている。それによると、以前は翻訳ミステリといえば、警察機構に属する出版社・群衆出版社の独壇場だった。1996年には「日本推理小説文庫」の刊行を開始しており、2002年当時までに70冊程度が刊行されている。その後、日本ミステリの翻訳に新規参入したのが珠海出版社で、20世紀末から21世紀初頭にかけて、「日本優秀偵探小説叢書」、「乱歩偵探作品集」、「金田一探案集」、日本推理作家協会編のアンソロジーなどを翻訳刊行している(そのほとんどが無許可だったと推定されている)。ほかには、時事出版社が2001年に「小五郎探偵サスペンスシリーズ」を刊行している。 また、日本ミステリの紹介に熱心な翻訳者・編者として朱書民(しゅ しょみん/チュー シューミン)(朱书民)という人が挙げれられている。長編を何作品も訳したほか、アンソロジー『日本推理小説精選』を編んでいる。 このころには、日本の新本格ミステリはほとんど(まったく?)訳されていなかった。 第四節 邦訳された1980年代~1990年代の中国推理小説 【2011年7月31日、加筆】 艾国文(がい こくぶん)、黄偉英(こう いえい) 「人民公社殺人事件」 (『サンデー毎日』1981年6月14日号~7月19日号、全6回) 中国のSF小説の歴史を詳細に記述している『中国科学幻想文学館』(大修館書店、2001年)を読んでいて初めて知ったのだが、1981年6月から7月にかけて、毎日新聞社の雑誌『サンデー毎日』に、中国の推理小説「人民公社殺人事件」が連載されていたという。著者は艾国文(がい こくぶん/アイ グオウェン)と黄偉英(こう いえい/ファン ウェイイン/黄伟英)。翻訳者は伊藤克。『中国科学幻想文学館』では、連載の第1回が手元にないため原題及び翻訳者の経歴については不明とされている。 作者名で検索すると、1981年1月に刊行された短編集『中国民族風格的偵査小説:駆散渾濁的迷霧』(中国民族风格的侦查小说:驱散浑浊的迷雾)に収録された5編のうち、表題作の「駆散渾濁的迷霧」がこの2人の共著による短編だということが分かる。ほかにこの2人が共同執筆した作品は、少なくともネット上では見つからないので、とりあえず「人民公社殺人事件」は「駆散渾濁的迷霧」の翻訳だと推定していいかもしれない。また、翻訳者の伊藤克という人は、「中日の懸け橋となった日本女性 伊藤克の生涯」で取り上げられている方とおそらく同一人物だろう。 「人民公社殺人事件」が訳された時期にはほかにも中国ミステリが翻訳されたことがあったかもしれないが、どのように調べたらいいのか分からない。 近年では、張平(ジャンピン、1954 - )の『十面埋伏』(じゅうめんまいふく)が新風舎より2005年に刊行されており、自費出版系の出版社からの刊行ではあったが、ロシア文学者の米原万里が雑誌で書評を書いたこともあり話題になった(書評は現在は米原万里『打ちのめされるようなすごい本』に収録されている)。原著は同タイトルで、1999年の刊行。また2004年には、張平『凶犯』も同じ出版社から同じ翻訳者で邦訳が出ている。こちらは現実の事件に題材をとった小説である。原著は1992年。 参考文献 中国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『中国ミステリ史 第一章』(19世紀末~1910年代) 『中国ミステリ史 第二章』(1910年代~1940年代) 『中国ミステリ史 第三章』(1940年代末~1970年代) 『中国ミステリ史 第四章』(1970年代末~1990年代) ←今見ているページ 『中国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭) 『中国ミステリ史 第六章』(現代)
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このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ更新 ル レ ロ ナ行 ワ行 李傕(リカク) 陸抗(リクコウ) 陸遜(リクソン) 李儒(リジュ) 李典(リテン) 劉焉(リュウエン) 劉虞(リュウグ) 劉賢(リュウケン) 留賛(リュウサン) 劉循(リュウジュン) 劉璋(リュウショウ) 劉禅(リュウゼン) 劉岱(リュウタイ) 劉度(リュウド) 劉備(リュウビ) 劉表(リュウヒョウ) 劉封(リュウホウ) 劉曄(リュウヨウ) 呂布(リョフ) 呂蒙(リョモウ) 呂玲綺(リョレイキ) 李傕 (リカク) [部分編集] (?~198)董卓の武将。字は稚然(チゼン)。 董卓殺害後に王允に反旗を翻し、同僚の郭汜とともに長安で暴政を振るう。郭汜とは親友であったが、後に郭汜の妻のせいで仲違いした。献帝を失った後は勢力は弱体化し、最期は曹操に殺された。 巫女を集めて邪神を祀っていたという。「巫女萌え」「巫女狂い」なんて呼ばれることも。 三國志IX 統率 66 武力 72 知力 29 政治 3 三國志11 統率 69 武力 72 知力 24 政治 1 魅力 17 騎兵A 騎将張繍の野望 + 董卓軍武将 潜入していた東風谷早苗(巫女)に一目惚れ、熱烈なアタックを仕掛ける。 これが八坂神奈子の逆鱗に触れ、董卓軍はあっさり滅ぼされた(更に神奈子を義母さん呼ばわり)。 その後は神奈子軍に所属しているが言動は相変わらず。 ちなみに、うp主の言うように李傕は邪教にはまっていて巫女を重用していたらしいので、ある意味史実通り。 上へ 陸抗 (リクコウ) [部分編集] (226~274)三国後期の呉の将。陸遜の子。字は幼節(ヨウセツ)。 晋の羊祜とは敵ながら互いを認め合う仲であった。 優れた軍事指揮官であるとともに、政治的な識見も高かった。子は、文人として高名な陸機・陸雲。 愛称は「りっこたん」。 三國志IX 統率 90 武力 55 知力 92 政治 85 三國志11 統率 91 武力 63 知力 87 政治 85 魅力 87 精妙/槍兵A,戟兵A,弩兵S,兵器S,水軍S 君主は陶濬 + 孫堅軍⇒陶濬軍。 孫堅軍の一角として陶濬軍勢力へ侵攻、ルーミアをスナイプする。捕縛された後、執拗な勧誘を受けるも頑として跳ねつけてきた。が、「自分を撃った相手を仲間にしてこないとクッキー食べちゃ駄目」と言いつけられて説得に来たルーミアの泣き落としに根負け。以後は陶濬軍の主要人物の一人として活躍を見せる。 上へ 陸遜 (リクソン) [部分編集] (183~245)呉の将。字は伯言(ハクゲン)。 関羽を破ることに功績を挙げ、さらに報復戦を仕掛けてきた劉備を火計により返り討ちにした(夷陵の戦い)。しかし呉の後継者争いの際、讒言により孫権に責められ、憤死した。 演義では美男子として描かれており、コーエー作品では美形キャラ。ファンの前で「夷陵の戦いの際の年齢」と「園田陸遜」の話は禁句。 三國志IX 統率 98 武力 66 知力 96 政治 90 三國志11 統率 96 武力 69 知力 95 政治 87 魅力 90 鉄壁/戟兵A,弩兵S,兵器S 関連用語: 放火魔 関連タグ: 【陸遜】 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 + 韓玄軍武将 韓玄軍武将。黒幕として暗躍し、韓玄軍の勢力拡大をもたらしている。 上へ 李儒 (リジュ) [部分編集] (?~?)董卓の参謀(演義では娘婿)。少帝弁を毒殺したことが後漢書に記されている。演義では董卓を打倒した王允に殺されたが、正史では董卓の死後も生きながらえており、王允の処刑後、李傕から侍中に推薦された。献帝から粛清されかけたこともあるが李傕によって助けられている。 三國志IX 統率 61 武力 29 知力 94 政治 70 三國志11 統率 61 武力 26 知力 93 政治 75 魅力 38 徴収 涼書董白伝 + 董白軍武将。 董白の配下で、董白との掛け合いの相方。危難を察知して王允を身代わりに立てる能力に長けている。数多ある三国志動画の中で、多分最も親しみやすい李儒。 成国志 + 董卓軍武将→袁術軍武将 董卓の元配下で、董卓軍武将の中では一番最初に加入した(裏切った)武将の上、悪人的な言動からここでも悪党かと思われたが意外に好々爺だった人。 そのギャップの所為でしばしば「お前が言うな」というコメが付けられる。 上へ 李典 (リテン) [部分編集] (?~?)曹操の配下。字は曼成(マンセイ)。 武芸よりも学問を好んだという。張遼とは不仲だったが、合肥の戦いでは私情を挟まず張遼・楽進らと団結、10万もの孫権軍を打ち破った。演義ではよく夏侯惇や曹仁らのブレーキ役として描かれる。生没年は不明だが、36歳という若さで死亡している(陳寿に「名声の割に資料が少なくて困る」と愚痴られている)。 「三国志大戦」のR李典の絵師は『MMR』の石垣ゆうき。容貌も台詞もその主人公にしか見えないことから「キバヤシ」と呼ばれる。歴戦ゲーでも「李典=キバヤシ」というイメージが定着している。 三國志IX 統率 77 武力 78 知力 78 政治 72 三國志11 統率 78 武力 77 知力 79 政治 74 魅力 65 射程/槍兵A,戟兵A,弩兵A,兵器S, 劉度シリーズ (歴史を修正、歴史に挑戦) 【三國志Ⅸ】 + ... キバヤシ。「話は聞かせてもらった!」と何の前触れもなく現れる人物。大抵分かり切った事を言うだけだったり他者の不安を不必要に煽ったりする。「李典=キバヤシ」イメージの端緒。 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 + 何進軍⇒張繍軍。 キバヤシ。劉度シリーズと同様、初登場時から自軍にとって不吉なことを叫び士気を下げるエアークラッシャー。その度に動画内人物や視聴者からツッコミが入る。何進軍から張繍軍に参入しても相変わらず。 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 + ... キバヤシ。他のシリーズに比べると、敵にとって不吉な事を言う。 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 + 博麗神主軍⇒陶濬軍。キバヤシではない 初登場時は蒼天風味。東方キャラ犬走椛にバリスタである「李典弩」を放った。しかしその93で再登場した時の発言からすると・・・。 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 + キバヤシではない キバヤシではなく、普通の武将として登場するのだが、毎回必ず緑コメによるキバヤシセリフが添えられる。 視聴者サービスか、実際にキバヤシセリフを喋ったことも。 ニコニコ大百科―――― 『李典』 上へ 劉焉 (リュウエン) [部分編集] (?~194)字は君郎(クンロウ)。後漢の建国者、劉秀の庶子の子孫。 若くして州や郡の役所に勤め、南陽郡太守、冀州刺史などを歴任した後に益州牧として割拠。後の蜀漢の先駆けとなった。 演義では黄巾の乱の頃の幽州太守であり、その時に劉備らと出会った事になっている(史実に幽州太守だった記録はない)。 三國志IX 統率 51 武力 36 知力 76 政治 81 三國志11 統率 53 武力 38 知力 80 政治 81 魅力 85 兵器A 上へ 劉虞 (リュウグ) [部分編集] (?~193)字は伯安(ハクアン)。幽州牧。皇族に繋がる名門の出で、善政を敷いた。 対異民族の融和派として烏丸や鮮卑などでもその人徳は名高く、袁紹からは反董卓の旗印として皇帝に推戴する動きもあった(本人は断った)。 しかし異民族討伐派の公孫瓚から目の敵にされて捕らえられ、多くの助命嘆願を無視して処刑された。 ゲーム的には早々に滅ぼされる勢力の一つ。 三國志IX 統率 56 武力 44 知力 70 政治 91 三國志11 統率 55 武力 33 知力 69 政治 78 魅力 92 親烏 皇族劉虞の軌跡FC サンゴクニカイドウ 【三國志Ⅸ】 + 劉虞軍君主 拠点は交趾。荊州をめぐって二階堂と激戦を繰り広げる。皇族としての威厳を持ち、「中華の秩序」のために立ち上がったシリアス君主。 上へ 劉賢(リュウケン) [部分編集] (演義の登場人物)零陵太守・劉度の子。演義にのみ登場する。なお、吉川三国志では劉延の名で登場する。荊州南部に侵攻した劉備に戦いを挑むが破れて捕らえられ、責任を全て邢道栄に押し付けて命乞いする。父を説得してともに劉備の配下に降る。 三國志IX 統率 53 武力 60 知力 52 政治 45 三國志11 統率 54 武力 66 知力 51 政治 40 魅力 52 劉度シリーズ (歴史を修正、歴史に挑戦) 【三國志Ⅸ】 + 劉度の子。 劉度の子。水軍都督として活躍した。 101匹阿斗ちゃんシリーズ 【三國志Ⅸ】 + お師さん 初期に「阿斗の師匠」というネタで登場。元ネタは北斗の拳の「リュウケン」。 のちに実際に「リュウケン」の顔グラでゲーム中に投入(能力値も強化)。 北斗神拳伝承者は一人だけ、ということなのか、101匹の阿斗たちの前に立ちふさがる壁となる。 上へ 留賛 (リュウサン) [部分編集] (183~255)呉将。黄巾賊討伐の際に脚を負傷し歩行困難になったが、自ら脚の筋肉を斬り、(脚を引きずりながら)歩けるようになったという。 戦場では髪を振り乱し部下とともに大声で歌ってから戦い、負け無しであったという。255年、陣中で病に倒れ撤退中に追撃を受け戦死。この時は病気で歌う事が出来なかったとされる。 前述の歌の逸話から、紙芝居などで出場する際には歌ネタを振られる事が多い。「キャーリューサーン」とも。 三國志IX 統率 73 武力 74 知力 64 政治 58 三國志11 統率 78 武力 75 知力 64 政治 57 魅力 62 推進/槍兵A,戟兵A,水軍A 軟国志 【三國志Ⅸ】 + 北郷軍(プレイヤー勢力)初期家臣 北郷軍(プレイヤー勢力)初期家臣の一人。 「 熱情の律動 」を歌いながら登場。 上へ 劉循 (リュウジュン) [部分編集] (?~?)劉璋の子。劉備の侵攻に対し、張任とともに雒城で1年にわたって頑強な抵抗を示した後、劉備に降伏している。 父や弟が任地荊州で呉に降った後も、終生蜀に仕えた。 三國志IX 統率 46 武力 51 知力 40 政治 51 三國志11 統率 63 武力 46 知力 41 政治 50 魅力 57 101匹劉璋(+200%) 【三國志Ⅸ】 + メイン循 メイン循きた!これで勝つる! 劉循が加入した 第10回 ではMADムービーがつくられた(8 15-)。実はこのネタのためにシリーズがはじまったとも。 サンゴクニカイドウ 【三國志Ⅸ】 + 劉循軍君主 ニューヒーローの中ではしぶとく生き残り、河北を三分する勢力を築くに至る。 自由を求める主人公っぽいキャラ付けがなされている。 上へ 劉璋 (リュウショウ) [部分編集] (?~219)劉焉の子。字は季玉。蜀を統治していたが、張松・法正・孟達が引き入れた劉備に国を奪われてしまう。 その後荊州に移されたが、この地が呉に攻略されると孫権に降伏した。 劉備による蜀の奪取を正当化するため必要以上に貶められている節も有るが、基本的に暗愚扱い。ただ劉備との戦いでは民の苦難を思い、焦土作戦の進言を退けるという逸話もある。 三國志IX 統率 3 武力 3 知力 5 政治 33 三國志11 統率 16 武力 5 知力 9 政治 38 魅力 65 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 + 暗愚 暗愚たちに暗愚扱いされる、ひどい扱われよう。しまいには…… 101匹劉璋(+200%) 【三國志Ⅸ】 + 101匹 暗愚な武将が101匹で……という、自称「パクり動画」。配下劉璋は横光版。「101匹阿斗ちゃん」のスピンオフ的な作品であり、「101匹阿斗ちゃん」側にも影響を及ぼした。詳しくは作品解説記事にて。 上へ 劉禅 (リュウゼン) [部分編集] (207~271)劉備の子。幼名は阿斗(アト)、字は公嗣(コウシ)。劉備の跡を継いで蜀の二代皇帝となったが、魏に国を滅ぼされた。「阿斗」は中国語では無能・暗愚の代名詞とされるが、暴君ではない。三国時代の皇帝で在位期間は最長(40年)であり、演義による脚色の被害者と見て再評価を図る機運も一部にはある。 三國志シリーズでは 逆コーエー補正 を受け、近作では完全なネタ武将扱い。「三国志11」では能力値3594(サンゴクシ)、魅力56(十の位と一の位を足すと11)と能力値を語呂合わせで遊ばれる始末。主催の評定はもはや公式MAD。 このままコーエーは彼をネタキャラ扱いし続けていくのかと 思いきや ・・・? 三國志VII 武力 33 知力 34 政治 27 魅力 62 三國志Ⅸ 統率 3 武力 2 知力 4 政治 7 三國志Ⅹ 統率 3 武力 5 知力 9 政治 4 魅力 64 三國志11 統率 3 武力 5 知力 9 政治 4 魅力 56 強運 信長の野望 嵐世記 統率 14 知略 34 政治 38 野望 37 関連タグ: 【劉禅】 、 【阿斗】 ニコニコ大百科: 『劉禅』 三国志11の劉禅の評定だけ。( 動画 ) 【三國志11】 + 公式MAD タイトル通り、三国志11の劉禅の評定場面の会話をつなぎあわせた動画。 ネタ動画にしか見えないが、これが公式の評定シーン。それにしてもこのスタッフ、ノリノリである。 呂布シリーズ 【三國志Ⅸ】 + キャラブレイクあり? 大抵のシリーズで最弱のネタキャラとして登場することが多い彼だが、この呂布シリーズではゲストキャラである魔理沙とブロリーにしごかれ、チートキャラに変貌している。 通称「最強の息子」。だがその割りに動画内で活躍している姿は少ない。 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 + 主役? 劉禅と黄皓が追放される場面から始まる本動画の、おそらく主役。黄皓・氏真・ジョンが大活躍する中で、すっかり空気と化している。それがまた劉禅らしくていい。さらに最近では兵1を持つチャッカマンとして不遇の対応を受けているが、その火計で多くの敵兵を葬っている。 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 + 主役および一軍、キャラブレイクあり タイトル通り君主の劉禅と100匹の劉禅が配下に加わっている。 内政、軍事、人材登用すべてにおいてダメッぷりを発揮。「塵は積もっても塵」状態である。 チルノ放浪記 + ... 140話でうp主のMチートイベントの一つで逃走中のランスによって試し切りされ死亡。 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 + 博麗神主軍武将 101匹阿斗ちゃん(呂布シリーズ?)の影響を受けてチートキャラ化。 統率 89 武力 30 知力 80 政治 83 攻城以外兵法全て習得 熟練度1000 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 + 司馬懿軍兵器 暗愚型攻防支援戦闘兵器RYU-ZEN。通称「ANG」。 黄月英が中心になって開発した最終鬼畜兵器。熟練度が限界突破しており(全熟練度3594=三国志というコーエーネタ)、 凄まじいほどのガード率とスナイプ率でレミリア軍に大損害を与え、視聴者を震撼させた。劉禅なのに。 春秋戦国三国志 【三國志Ⅸ】 + 主役 劉禅軍君主。 三国志世界に春秋戦国の英雄が登場するこの世界で、三国志枠から趙雲と黄皓を配下に登場。 春秋戦国枠からも同一構成で暗君(斉景公)・忠臣(晏嬰)・佞臣(梁丘拠)が配下に加わっている。 本編が始まる前の解説編では意外に聡明なところを見せており、本編でも基本的に素直。 景公が馬鹿殿役を引き受けているのと、晏嬰がよく補佐しているところが大きい。 さすがは「何色にも染まる」と評されただけのことはある。 Fairy Rhyme 【三國志Ⅸ】 + 大妖精軍強制加入枠 他の動画とは打って変わって、弩兵隊を率いて連鎖率も高い、洒落じゃなく活躍する劉禅である。 あまりに真面目すぎる性格な上にサバイバルな食事をしていた。 親父とは大違いである。 ちなみにこの作品の何かの武将同様彼にも覚醒条件がある。 それはあまりにも厳しい条件である……が、視聴者は「彼ならばきっと成し遂げられる」と信じている。 天下を汝に取らせない! 【太閤5】 + 初期メンバーの一人。 博多の町でジョン欠地王とともに氏真の仲間となる。 初期メンバー唯一の火攻め使いとして序盤の城攻めで活躍する。高能力武将が加入した中盤以降は行政官としてその手腕をふるっている。 サンゴクニカイドウ 【三國志Ⅸ】 + 劉禅軍君主、再評価済み 黄皓・閻宇ともども再評価済み。王者の雰囲気を漂わせた劉禅。 関連動画―――― 長安が陥とせない by 劉禅 (三国志) :替え歌(歌唱つき) シャイニングスパイラル阿斗 :MAD 劉禅のぱーふぇくと皇帝教室 :替え歌 上へ 劉岱 (リュウタイ) [部分編集] (?~192)字は公山(コウザン)。劉繇の兄、兗州刺史。清廉な皇族兄弟として人望があったという。史実で同姓同名同字の人物がおり、さらにどちらも兗州で働いたため演義で混同されている。 正史では黄巾の乱で戦死。混同されたもう1人の劉岱(生没年不詳)および演義では曹操に仕え、徐州で劉備と戦った。 三國志IX 統率 56 武力 64 知力 36 政治 68 三國志11 統率 53 武力 65 知力 32 政治 54 魅力 42 劉度シリーズ (歴史を修正、歴史に挑戦) 【三國志Ⅸ】 + 長官。 HELLSINGのペンウッド卿とグラが似ているというだけで長官ポジションを割り振られた。 【HR】HELLANG HELLSINGのMADであるこの作品で、ペンウッド卿役で特別出演。 上へ 劉度 (リュウド) [部分編集] (?~?)荊州零陵郡の太守。史実の人物で、荊州南部に劉備が進攻した際に降伏したことが記録される。演義では劉賢・邢道栄のエピソードが挟まれ、趙雲ら劉備軍の活躍を引き立てている。 いわゆる 荊州四英傑 の一人。ニコニコ動画では、人気を博した「劉度シリーズ」で知名度が高い。愛称「劉度様」。 三國志IX 統率 11 武力 25 知力 29 政治 47 三國志11 統率 25 武力 23 知力 26 政治 49 魅力 53 関連用語: 歴史を修正 劉度シリーズ (歴史を修正・歴史に挑戦・魔王に挑戦) 【三國志Ⅸ】 + 群雄の一人。劉度様。 群雄の一人。劉度様。歴史を修正OPで紹介あり。 英傑仲間の「金ちゃん」の家に遊びに行った帰りに「お客さん」を連れて帰ったところから、歴史に挑む壮大なドラマが幕を開くことになる。テーマソングは「笑点」。 視聴者は長い物語をともにするうちに、劉度の軽い性格が凡人には理解できない広大無辺の将器の表れだと思うようになるだろう。息子に無能の顔呼ばわりされたその顔も、慈愛に満ちあふれた名君の顔に見えてくる。 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 + 蒼天曹操軍配下 曹操(蒼天?)の事を「もうと君」と呼んでしまい、南蛮へ飛ばされてしまった。 春秋戦国三国志 【三國志Ⅸ】 + 荊州四英傑with戦国四君の一角 劉度シリーズの影響を受け、飄々とした性格付け。「君」はひらがなで呼ぶので「孟嘗くん」は困っている。 実は息子の劉賢ともども、とある一芸の持ち主。 上へ 劉備 (リュウビ) [部分編集] (157~223)字は玄徳(ゲントク)。前漢の皇族の末裔とされ、各地を渡り歩き、諸葛亮の献策で荊州と益州を領有、蜀漢の初代皇帝(昭烈帝)となった。人望により多くの人を集め、その生涯は物語化されて「三国志演義」の主人公となった。 日本での創作物では聖人君子として描かれることが多かったが、『蒼天航路』の影響で「莚売りの親分」っぽいフランクなあんちゃん的な描かれ方も広がっている。 身の丈七尺五寸(現代換算で約178cmくらい)と正史に記述がある。 三國志IX 統率 75 武力 74 知力 73 政治 78 三國志11 統率 75 武力 73 知力 74 政治 78 魅力 99 遁走/槍兵A,弩兵A 関連用語: 大耳(オオミミ) 関連タグ: 【劉備】 ニコニコ大百科: 『劉備』 変態記 【三國志Ⅹ】 + 諸勢力の1つ。かなり早い段階で滅亡。紙芝居レギュラー、キャラブレイクあり この動画では三国武将側の主人公。表面はいわゆる仁君なのだが、中身はヘタレなキモオタというどうしようもないキャラ。 だが動画が進むにつれて、少しづつ人間的に成長していく様に感心する人が続出した。 魔理沙の幻想郷帰還誌 + 中盤から登場。紙芝居に時々参加。キャラブレイクあり チルノ軍を滅ぼすが一年も経たない内に叛旗を翻され、挙句の果てには滅亡させられる。その際チルノに雌雄一対の剣を渡して解放された(後にエクスイカバーに魔改造された)。 その後レミリア軍に登用され、戦闘中に瀕死の重症を負うも、レミリアの力によって吸血鬼となり復活した。 当初はカリスマの欠片もなく軽い性格であったが、吸血鬼化前後はカリスマが爆発した。 レミリア軍滅亡後はレミリア共々魔理沙軍に入る。ロリ好き。 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 + 様々な劉備がいる、敵勢力君主。キャラブレイクあり 本家三国志IX劉備軍を中心に、攻め滅ぼした横光劉備軍などを編入した劉備軍の君主。 君主であるにもかかわらず重度のゲーマーであり、不真面目で子供っぽい。 他の主要武将もゲーマーが多く、いつも政務をサボっては張飛などといっしょにゲームをプレイしているようだ。 だが唯一まともな関羽の猛反対でWiiが買えなかったことをBF孔明に付け込まれ、Wiiを貰うための交換条件として反北郷連合の盟主となる。 因みにプレイヤー軍君主の「北郷一刀」は元作品の恋姫無双(無印)において劉備の役を担っている。 BB戦士三国伝版:北郷軍所属。初期の頃は目立ってなかったが、異界の義兄弟の蒼天張飛、恋姫関羽の力を借りて本物呂布を撃破する。 通称「ホンタイさん」 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 + 劉備軍君主 劉備軍君主。性格は蒼天仕様。 劉禅と黄皓が劉備に追放されたところから物語は始まる。劉備を打倒して見返すのが劉禅と黄皓の目標。 Fairy Rhyme + 司馬懿軍武将として突如登場。キャラブレイク有り 司馬懿軍との決戦間近の時に司馬懿軍武将として突如登場、後に大ちゃん軍に加入。 初登場時からレイ○目的の為に女性武将を襲うなどありえん方向に性格が吹っ飛んでいる。 そのため大ちゃん軍加入後は趙雲には見放され、郝昭、王昶には監視され、河北三銃士&公孫続には命を狙われている。 上へ 劉表 (リュウヒョウ) [部分編集] (142~208)荊州牧。字は景升(ケイショウ)。後漢末期の政権抗争において清流派(宦官や外戚の権勢を嫌う官僚の総称)と呼ばれる政治家の一人で、儒学者でもあった。荊州では反対派の豪族を処断して地盤を確固としたものとした。劉表時代の荊州は、中原の戦乱から逃れてきた人々の避難所ともなった。 優柔不断な性格で曹操軍への侵攻は極力控えていた。演義では病床から劉備に後事を託しているが、実際には最後まで警戒しながら死んでいったようである。 三國志IX 統率 46 武力 28 知力 68 政治 80 三國志11 統率 48 武力 31 知力 71 政治 81 魅力 83 涼書董白伝 【三國志Ⅳ】 + 荊州の群雄。キャラブレイクあり。 荊州の群雄。キャラブレイクあり。 すばらしい紳士ぶりを見せている。 関連動画―――― 荊州の高き悪魔 ~戦乱の荊州~ :替え歌(歌唱つき) 上へ 劉封 (リュウホウ) [部分編集] (?~220)劉備の養子。副軍将軍まで務めるなど将来を嘱望されていたが、関羽が孤立した際に援軍を送らなかったことから父の不興を買い、死を賜った。 養子に迎えられたのは正史では劉禅が生まれる前だが、演義では劉禅の生まれた後。死の前後の状況も、派閥抗争云々であれこれ憶測される。 歴戦ゲーでは「101匹阿斗ちゃん」から「ニーサン」の愛称で呼ばれる。コーエー三国志では武官気味の能力を与えられている。 三國志IX 統率 76 武力 77 知力 45 政治 47 三國志11 統率 75 武力 79 知力 44 政治 50 魅力 76 槍将/槍兵A,騎兵A,水軍A 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 + ニーサン 「ニーサン」(劉禅の義理の兄であることから)。劉禅二三(ニーサン)に転生。 上へ 劉曄 (リュウヨウ) [部分編集] (?~?)字は子揚(シヨウ)。後漢の建国者である劉秀の庶子の子孫。13歳の頃、母の遺言により父の側近を殺害するなど、過激な一面を持つ。 演義では郭嘉の推挙を受けて曹操に仕え、曹丕、曹叡の代まで重用された。呉の魯粛と友人だったとされる。 三國志IX 統率 36 武力 68 知力 88 政治 72 三國志11 統率 36 武力 32 知力 92 政治 73 魅力 69 射程/兵器S 上へ 呂布 (リョフ) [部分編集] (?~198)字は奉先(ホウセン)。「人中の呂布、馬中の赤兎」と謳われた三国志における後漢末史上最強の武将。騎兵を率いることに長けていたほか、弓の名人で、前漢の名将・李広になぞらえて「飛将」と呼ばれた。丁原・董卓を殺し、袁術には嫌われ、袁紹と共に黒山賊を撃破するも次第に対立し逃走、流浪の末に張邈に手厚く持て成され、劉備を頼った挙句に裏切り、仲が良かった張楊の支援を受け、曹操とは度重なる死闘を繰り広げたが部下に裏切られ敗北、処刑された。 演義では愛馬「赤兎馬」、武器の「方天画戟」で知られる。 三國志IX 統率 94 武力100 知力 25 政治 16 三國志11 統率 87 武力100 知力 26 政治 13 魅力 40 飛将/槍兵A,戟兵S,弩兵S,騎兵S 関連用語: ゴキブリ 関連タグ: 【呂布】 ニコニコ大百科: 『呂布』 劉度シリーズ (歴史を修正、歴史に挑戦) 【三國志Ⅸ】 + 修正終盤で登場、キャラブレイクなし 三国最強の武将として幻想郷最強の妖精チルノと激突する。 所属していた軍が滅びた後は貂蝉と逃亡を試みるが、劉度軍のドッキリ結婚式に自らはまり、そのまま劉度軍の一員となった。 呂布シリーズ 【三國志Ⅸ】 + 主役、キャラブレイクあり 時々少しだけ本気を出して、黄色いヘルメットに銀色のマシンを装備し、最強のパイロットになる。 変態記 【三國志Ⅹ】 + 終盤に登場、紙芝居準レギュラー、(本人は)キャラブレイクなし 本人は普通の武将だが、周囲の人間からはゴキブリにしか見えないらしい。 ゴミが落ちていたらゴミ箱に入れるような生真面目な性格の持ち主。 ムスカとの論戦に破れ、藍たちに降伏。 ドラゴンクエスト三国志Ⅸ 【三國志Ⅸ】 + 中盤から登場、紙芝居登場なし、敵固定武将、登場の際には無双の音楽使用 三国武将登用不可のため、放置して置いたらいつの間にか魔王軍の一員となっていた。 もともとチート武将であるためか、化け物揃いの魔王軍の中でも高確率で出撃メンバーに含まれている 当初は「自重しろ!」とのコメントも多かったが、最近は呂布がいることが普通になっており 出演の権利を力でもぎ取った形になった。固有のテーマを持たされるなど優遇されている 呂奉先の野望 【革新PK】 + プレイヤー勢力大名 三国志の武将ばら撒かれた、戦国時代・群雄集結の日本。娘の呂玲綺、愛する貂蝉とともに飛ばされた呂布は、有馬家の城を占拠し、天下に挑む。 「鉄砲」を知らない三国武将など、1400年の時代のギャップを使ったネタも見所。戦国時代でもこの上ない脳筋で、龍造寺隆信とある意味よいコンビになっている。 中華武将祭り + 8人以上居る 三国志Ⅸ:呂布軍君主。性格が北方三国志っぽい位置付け。また三国志Ⅸの呂布軍は全体にキャラブレイクが少ない。高順、張遼と共に8万の軍勢で北郷軍20万と五分に渡り合い、呂布(呂布子版)と呂布(一騎当千版)を始めとする北郷軍の猛将を悉く一騎討ちで倒し、遂には北郷軍君主北郷一刀の本陣にまで食らいつくが、一刀が呂布を破る最後の切り札として温存させていた張飛(蒼天航路版)・関羽(恋姫無双版)・劉備 (BB戦士三国伝版)の桃園三兄弟との一騎討ち三連戦で遂に敗北する。 突き刺せ!呂布子ちゃん版:北郷軍初期メンバー。幼女キャラ。脳筋(まぁ幼女ですし)だが戦闘力はなかなか高い。 一騎当千版:初登場時は何進軍所属。後に北郷軍へ。女性。顔グラの衣装がなかなかエロス。動画内では呂布子のお守り的な役割が多い。 恋姫無双版:董卓軍(ドラゴンシスター)所属。女性。出展元同様、無口で無表情なキャラ。 横山版:董卓軍(ドラゴンシスター)所属。知力も性格的にもどこぞの氷精と同レベル。 BB戦士三国伝版:董卓軍(ドラゴンシスター)所属。トールギス。ちなみに彼の赤兎馬はバイクに変形可能。 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 + 袁紹編完結後に登場、強敵 武力130(武器及び補正込みで158か)を誇る怪物。呂布シリーズには及ばないまでも恐るべき強敵として馬超軍に立ち塞がる。 万夫不当の豪傑であったが、彼の心に人間らしさは無く、彼曰く世界に『色』が無かった。 しかし貂蝉との出会いをきっかけに人間性を徐々に取り戻して行く様になる。 董卓の暗殺には失敗し、北方で勢力を立ち上げている。 馬超軍との緒戦では完膚なきまでにこれを粉砕し、幻想水滸伝勢をして「ルカ・ブライトに匹敵する」と言わしめた。 (筆者注:ルカ・ブライトとは幻想水滸伝2に於ける強敵で、鬼神の如き強さと暴虐さで知られる。「豚は死ね!!」の名言が有名) どうやら性格造形は北方謙三の三国志がベースの様である。 東方春幻想 【三國志Ⅸ】 + 呂布軍→孫策軍→?? 丁原、董卓を討った後という設定で登場。 かつて龍を見た事により己を悟り、すでに覇権等の個人の栄達に興味は無く、ただ魂の従うままに戦い続けている。 かなり初期から壊滅しそうでいて、曹操と袁紹の削り合いのせいか、なかなか壊滅しなかった。 壊滅後は孫策軍へと行き、孫策と意気投合して、その傘下へと入る。 後に洛陽で謎の妖と限界を超えた熾烈な争いをし、死に掛けたところを紅美鈴によって回復する。 その際、身の内に龍脈を宿す人間である事が判明し、その時に刺激されたことによって龍脈が覚醒したらしい。 空間を斬り裂いたりするなど、人を超えた芸当をしたりと、まさに種族:呂布となりつつある。 井伊直政のたぬたぬ幻想奇 【三國志Ⅸ】 + 武将としては恋姫呂布に取って代わられてるが… 武将としては恋姫呂布に取って代わられてるが、紙芝居では本物も存在している。 武将をやめ、矛を置いた彼はミスティアの屋台で日々食料探しに奔走している。 そして彼女の笑顔のために再び矛を握るが、振りかざす相手は武将ではなく、大物の食料である。 上へ 呂蒙 (リョモウ) [部分編集] (178~219)字は子明(シメイ)。孫策・孫権に仕えた名将。もともとは無教養な武将だったが、孫権から諭されて勉学に励んだ。「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と言ったのは覚醒後の彼である。魯粛は「呉下の阿蒙に非ず」(昔の脳筋蒙ちゃんじゃないな!)とうなったのだが、逸話から「呉下の阿蒙」(=進歩のない人)だけが独り歩きした。多くの戦功を挙げたが、とくに荊州では関羽と対峙。陸遜を起用して関羽・関平親子を捕え処刑し、荊州を呉の手中に収める活躍を見せた。 演義では「主人公」サイドの関羽の敵役であるためか、関羽に呪い殺された演義にはじまり、人形劇や小説や漫画などでひどい悪役にされることがある。 ニコニコ的には「アモー」もしくは「阿蒙」と呼ばれる事もある。勉学後の呂蒙の呼び方は「覚醒呂蒙」など。 三國志IX 統率 93 武力 80 知力 40 政治 49 (覚醒前) 三國志11 統率 91 武力 81 知力 89 政治 78 魅力 82 心攻/槍兵S,戟兵A,兵器S,水軍S 東方春幻想 【三国志Ⅸ】 + 孫策軍→幽々子軍→輝夜軍 かなり初期から輝夜軍壊滅まで神主軍の前に強敵として立ちはだかっており、本動画では「恐ろしい子」とあだ名が付いた。 幻想郷の者達が跋扈し、混迷する現状を憂いて、国の為に甘んじて神主軍に降り、その下で呉軍を復興させようとしている。 神主軍の中では軍師補佐として、頭は良くても権謀術数に疎い正軍師の慧音を助けながら策を練っている。 本動画では誰よりも先を見据えて行動しており、そのような意味でも「恐ろしい子」と言われている。 上へ 呂玲綺(リョレイキ) [部分編集] (?~?)呂布の娘。袁術の息子との政略結婚の話があったが、成立しなかった。正史では簡単な記述しかなく、実名も不明。 「呂玲綺」の名が付いたのはコーエーの「三國志戦記2」であり、コーエー以外では通じない名前と言うことになる。同じコーエーの「三國志」へは、いわば公式の登録武将として登場。なお、三国志大戦では呂布の娘が「呂姫」という名で登場する。史料が少なすぎて史実のご本人の人となりを知ることはできないが、ゲーム的には「あの呂布の娘」ということで同系統の武闘派美少女イメージで描かれることが多いようである。 三國志11 統率 81 武力 89 知力 37 政治 18 魅力 56 疾走/戟兵A,弩兵A,騎兵S ニコニコ大百科: 『呂玲綺』 呂奉先の野望 【革新PK】 + 呂布の娘 呂布の娘。父の愛人である貂蝉との仲は微妙。無双を夢見るお年頃。 上へ 名前 コメント
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2011年11月15日 『韓国ミステリ史 第三章』では、1970年代を扱っている。 目次 第三章 1970年代: 後継者不在の時代に現れたキム・ソンジョン第一節 キム・ソンジョン(金聖鍾)登場 第二節 1970年代の翻訳ミステリ(1)1972年、韓国ミステリクラブの結成 (2)1970年代末の翻訳ミステリブーム 第三節 邦訳された1970年代の韓国推理小説 参考文献 第三章 1970年代: 後継者不在の時代に現れたキム・ソンジョン 韓国の最初の創作探偵小説は1908年から1909年にかけて新聞連載されたイ・ヘジョ(李海朝)の『双玉笛(そうぎょくてき)』だった。その後、欧米や日本の探偵小説の流入が続き、創作探偵小説もいくつか書かれるが、しばらくは探偵小説専門の作家は現れなかった。1930年代半ばになると、金来成(キム・ネソン)が初の探偵小説専門作家として登場し、「韓国の江戸川乱歩」【注1】とでもいうべき活躍で人気を博したが、しかし戦後は金来成は大衆文学作家に転向してしまう。その後の三十年ほどは、後世まで読み継がれるような推理作家はなかなか登場しなかったが、そんな後継者不在の時代に現れて一躍人気推理作家となったのがキム・ソンジョン(金聖鍾)である。キム・ソンジョンは1970年代半ばに発表した最初の長編推理小説『最後の証人』がベストセラーとなり、2011年現在まで韓国ミステリ界を代表する作家として推理小説を発表し続けている。最新作は、日本の福岡を舞台にしたサスペンス小説、『福岡殺人』(2011年10月刊)。 注1:『日本推理作家協会会報』1984年6月号の黄鐘灝(ファン・ジョンホ)「韓国推理小説の現状」に以下のようにある。「わが国の推理小説は金来成から始まったと言っても過言ではないでしょう。勿論古典小説や特に李朝時代のいわゆる「公案類」小説にも推理的要素の濃い作品がありますが、近代的意味において氏はいわば韓国の江戸川乱歩でした。」 第一節 キム・ソンジョン(金聖鍾)登場 ◆生い立ち~純文学作家としてのデビュー キム・ソンジョン(金聖鍾/김성종)は1941年、中国の山東(さんとう)省済南(さいなん)市に生まれた。父親は韓国の求礼(クレ)出身だったが、一時期中国に渡っており、キム・ソンジョンはそこで生まれたのである。終戦後はソウルで暮らし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると韓国南部の求礼(クレ)に避難し、そこで少年時代を過ごした。 延世(ヨンセ)大学の政治外交学科に進学。大学時代はフランス文学を耽読したという。卒業後、新聞記者などを経て小説家デビュー。デビュー作は、1969年に『朝鮮日報』の新春文芸公募に入選した短編小説「警察官」である。キム・ソンジョンは当初は純文学作家として活動しており、この作品も警察官を主人公にしてはいるが推理小説ではなかった。その後、文芸誌に「我らが少年だったとき」(1970)、「十七年」(1971)、「悲しみ」(1972)、「ある娼婦の死」(1973)、「鎌」(1973)などの短編小説を発表。このうち、「ある娼婦の死」には『最後の証人』の探偵役である刑事のオ・ビョンホが登場している。 ◆推理作家としてのデビュー作『最後の証人』 1974年、『韓国日報』創刊20周年の長編小説公募に『最後の証人』(최후의 증인)(邦訳2009年)を投稿し、受賞。1974年6月から翌年6月まで同紙に連載。1977年には単行本が刊行され、ベストセラーになった。刑事のオ・ビョンホが捜査本部の方針に反抗し、単独行動で殺人事件の捜査をしていくうちに、その原因となった数十年前の悲劇が明らかになっていくというハードボイルド作品である。1980年には映画化されたが、検閲によって大幅にカットされた上、上映は10日間で打ち切られてしまった。映画の完全版は2009年になってやっとDVDとして一般に販売され日の目を見た。また2001年には『最後の証人』を原案とする映画『黒水仙』も公開されている。 キム・ソンジョンはその後もハードボイルドや国際謀略小説を中心とする長編推理小説を次々と発表。1974年の『最後の証人』以降、推理作家デビューから10年になる1984年までに発表した長編には、『七本の薔薇』、『Zの秘密』、『白色人間』、『霧の中に消える』、『私は生きたい』(邦訳2005年、邦題『ソウル 逃亡の果てに』)、『死を呼ぶ少女』、『第五の男』、『反撃の壁』、『迷路の彼岸』、『第三の情死』、『凍りついた時間』、『浮浪の河』などがある。2011年現在までで、発表した長編は約50編にのぼる。 ◆創作以外でのミステリ界への貢献 次々と長編推理小説を発表する一方、1988年には『季刊推理文学』(계간 추리문학)を創刊。さらに同誌上で長編推理小説を公募する金来成(キム・ネソン)推理文学賞を立ち上げた。(『季刊推理文学』は10号?で休刊、金来成推理文学賞は全4回で終了している。この雑誌と賞については第四章で紹介する) 1992年3月には、韓国有数のリゾート地である釜山(プサン)市海雲台(ヘウンデ)に、キム・ソンジョンが私費を投じて建設した推理小説図書館の推理文学館が開館している。同年6月にはここで日韓の推理作家協会の交流会が行われ、日本推理作家協会からは生島治郎、山村正夫、豊田有恒、麗羅、大沢在昌、西木正明が参加した。1993年5月には日本推理作家協会が韓国推理作家協会の推理作家らを日本に招待したが、その際にはキム・ソンジョンも来日している。(1990年代初頭には日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流があったが、1993年以降、交流は途絶えているようである) 推理文学館前での日韓推理作家集合写真(韓国側の参加者、推理作家のクォン・ギョンヒさんのブログ記事) - 1992年3月の開館式の写真と、1992年6月8日の日韓交流会の日の写真 ◆日本を舞台にした最新シリーズを執筆中 2011年10月には、3年半ぶりの新作長編『福岡殺人』を上梓した。タイトルから分かる通り、日本の福岡を舞台にしたサスペンス小説である。プサン日報に掲載されたインタビュー記事(2011年10月22日、韓国語)によれば、『福岡殺人』は日本を舞台にした全5作のシリーズの最初の1作であり、2012年以降に『大阪殺人』、『東京殺人』、『札幌殺人』、『名古屋殺人』を予定しているという。2012年には福岡にも住居を用意し、プサンの自宅と往復しながら執筆する予定だという。キム・ソンジョンの『福岡殺人』の刊行については、日本の新聞でも記事になっている。 韓流ミステリー 舞台は福岡 釜山(プサン)の巨匠・金聖鍾(キム・ソンジョン)さんが長編出版 (西日本新聞朝刊、2011年10月29日付) ◆中国でも刊行されているキム・ソンジョンの作品 キム・ソンジョンの作品は日本では『最後の証人』と『ソウル 逃亡の果てに』しか出版されていないが、中国では少なくとも7作品が出版されている。代表作の『最後の証人』の中国版は出ていないようだ。 中国版 『七本の薔薇』、『白色人間』、『ソウル 逃亡の果てに』、『迷路の彼岸』、『ピアノ殺人』、『国際列車殺人事件』、『燃える女』 第二節 1970年代の翻訳ミステリ (1)1972年、韓国ミステリクラブの結成 【2012年6月11日、加筆】 キム・ソンジョンが『最後の証人』によって推理作家デビューする少し前の1972年、韓国推理作家協会(1983年2月8日設立)の母体となった韓国ミステリクラブが結成されている。国外の推理小説に関心を持つ英文学の大学教授が中心となったもので、1972年1月5日に結成された【注2】。発起人はイ・ガヒョン(李佳炯)、イ・グンサム(李根三)、ファン・ジョンホ(黄鐘灝)ら。 黄鐘灝(ファン・ジョンホ)「韓国推理小説の現状」(『日本推理作家協会会報』1984年6月号、No.426、p.4) 【金来成が1957年に亡くなったのちには】追蹤者達のエログロ時代があり、良心的な一部の作家がありましたが、大体において一応低質視された推理小説の復興など絶望的な状態でした。一九七二年一月五日おもに大学英文学教授からなる「韓国ミステリクラブ」が鍾路(チョンノ)区清進(チョンジン)洞にある飲食店「雲情」の5号室で結成されたのはこういう時期でした。外国推理の飜訳が主な目的でしたが、新人作家の発掘も事業の一部でした。メンバーは十名に、スポンサーである「雲情」の女主人韓(ハン)女史といわば「テン・プラス・ワン」、李佳炯(イ・ガヒョン)会長と、黄鐘灝(ファン・ジョンホ)総務で始まりました。 会長のイ・ガヒョン(李佳炯)(이가형)(1921-2001)は英文学者。1942年、熊本の旧制第五高等学校卒業。その後東京帝大文学部に進学。1956年から1年間、アメリカのウィリアムズ大学に留学。その後、大学教授を務めながら多くのミステリの翻訳を手掛け、韓国におけるミステリの普及に尽力した。1983年、韓国ミステリクラブから発展して韓国推理作家協会が設立されるとその初代会長も務めた。1984年3月、東京で開催された国際ペン大会に韓国代表として参加し、日本推理作家協会の中島河太郎と面会した。この面会の様子は中島河太郎が『日本推理作家協会会報』1984年6月号(No.426)で伝えている。1990年と1992年の日韓両国の推理作家協会の交流会に参加(→詳細はこちらの記事)。1995年、自身の戦争体験を日本語で綴った『怒りの河 ビルマ戦線狼山砲第二大隊朝鮮人学徒志願兵の記録』(連合出版)を上梓した。 総務のファン・ジョンホ(黄鐘灝)(황종호)(????- ? )も英文学者。大学教授を務めながら多くのミステリを翻訳した。中島河太郎はファン・ジョンホとは何度か書簡のやり取りをし、1982年ごろには面会もしている。 なお、1966年2月28日付けの京郷(キョンヒャン)新聞に、イ・ガヒョンとイ・グンサムが中心となって仮称・ミステリ文学協会の設立を準備している――と報じる記事が載っている(情報提供:韓国推理作家協会クォン・イリョン氏)。ただ、韓国ミステリクラブの設立は前述の通り1972年なので、このときの計画はおそらく立ち消えになってしまったのだろう。 注2:韓国ミステリクラブ(あるいは単に「ミステリクラブ」)の結成年は、引用したファン・ジョンホの記事によれば1972年となっているが、パク・クァンギュ(2008a)では1971年、鄭泰原(チョン・テウォン)(2000)では1970年、金容権(キム・ヨングォン)(2001)では1960年代末とされている。ここでは、唯一日付まで示されているファン・ジョンホの記事の記述に従っておく。 (2)1970年代末の翻訳ミステリブーム キム・ソンジョンが『最後の証人』を連載しはじめた1974年、河西(ハソ)出版社が《世界推理文学全集》(全10巻)(ラインナップ紹介)を出版している。ドイルやクリスティと並んで、日本の推理作家では江戸川乱歩と松本清張の作品が収録された。そして1970年代後半になると、複数の出版社から翻訳ミステリの叢書の創刊が相次ぐ。主なものは以下の通りである。 《東西推理文庫》 1977年~1980年頃?、全128巻(一部、SF作品も含む。日本の作家の作品はなし) - 2003年以降、《東西ミステリブックス》で大部分が再刊された 《河西推理選書》 1977年~1978年、全36巻(ラインナップ紹介) - 日本の作家では江戸川乱歩、横溝正史、松本清張、森村誠一の作品を収録 《三中堂ミステリ名作》 1978年~1981年、全40巻(ラインナップ紹介) - 日本の作家では横溝正史、坂口安吾、高木彬光、森村誠一、水上勉、黒岩重吾、佐野洋の作品を収録 (これらの叢書でも上述のイ・ガヒョンとファン・ジョンホは多くの作品の翻訳を担当している) 日本の作家の中で、当時の韓国で特に人気を集めたのは松本清張と森村誠一だった【注3】【注4】。1970年代末には中国でも松本清張と森村誠一が人気を博していたし【注5】、また台湾でも1970年代末から松本清張作品が次々と翻訳刊行されていた【注6】。この時期、日本の社会派推理小説は日本国内だけでなく東アジアにまで広まり多くの読者を獲得していたのである。 注3:松本清張の韓国での人気については、南富鎭(なん ぶじん)「松本清張の朝鮮と韓国における受容」(2011)に以下のようにある。「松本清張の作品は韓国において幅広く受容されてきた。膨大な量の翻訳が無造作に行われるかたちで韓国の読者に提供されてきたのである。また韓国推理小説にも多大な影響を及ぼしていると言える。韓国を代表する推理小説家である金聖鍾への影響関係も強くうかがわれる。」(p.69)。 注4:森村誠一の韓国での人気については、李建志(り けんじ)「松本清張と金聖鐘(ママ) ――日韓の戦後探偵小説比較研究」(2006)に以下のようにある。「韓国でもっとも人気のある日本の推理小説作家は森村誠一だといわれている。」(p.11)、「一九七〇年代、金聖鐘(ママ)によって拡大されたミステリマーケットに、日本を代表する作家として森村誠一が参入し、高い評価を受けたのだ。」(p.12)。 注5:1998年の第1回北京偵探推理文芸協会賞では、1979年に中国語版が刊行された松本清張『点と線』と森村誠一『人間の証明』が翻訳作品賞を受賞している(1950年以降の約50年間に中国で出版された翻訳ミステリが対象になっており、松本・森村作品を含む計16作品が受賞している)。 注6:島崎博氏は台湾で松本清張『ゼロの焦点』が翻訳刊行された1977年を「実質的な台湾の推理小説元年」だとしている(『ファウスト』Vol.7(2008年8月)掲載の島崎博インタビュー、p.1110)。 第三節 邦訳された1970年代の韓国推理小説 金聖鍾(キム・ソンジョン)『最後の証人』(上下巻)(論創社、2009年2月)(原著 1974-1975年) 李文烈(イ・ムニョル)『ひとの子 ――神に挑む者――』(集英社、1996年4月)(原著刊行 1979年) また、キム・ソンジョンと同時代に日本では麗羅(れいら)(1924-2001)が推理作家として活躍していた。本名チョン・ジュンムン(鄭埈汶、정준문)。1924年12月20日、朝鮮に生まれる。1934年に来日。1973年、「ルバング島の幽霊」でサンデー毎日新人賞を受賞して日本で作家デビューした。ペンネームの「麗羅」は、下の東洋経済日報の記事によれば、高句麗(こうくり)と新羅(しらぎ)から一文字ずつとってつけたものである。1983年には『桜子は帰ってきたか』で第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞している。1990年代初頭には、日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流に貢献した(詳細は「日本推理作家協会と韓国推理作家協会の交流」)。2001年8月4日逝去。76歳。(『日本ミステリー事典』新潮社、2000年 参照) 日本推理作家協会会報2001年8月号 作家・麗羅さんの思い出(東洋経済日報 2001年8月24日) - 無署名記事 ミステリ作家・評論家の野崎六助氏のサイトで著作の書影を見ることができる。 参考文献 韓国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) ←今見ているページ 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
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2012年9月20日 Index 2002年、ミステリの売り上げに占める日本作品の割合は1.1% 日本ミステリの翻訳の急増 人気・評価の高い作品は? 最も多く作品が翻訳されている作家は? 主なミステリ作家の翻訳状況翻訳書が10点以上出ている作家 その他の作家 旧作の翻訳は?横溝正史とその他の探偵作家 松本清張と赤川次郎 その他 2002年、ミステリの売り上げに占める日本作品の割合は1.1% 日本の推理小説の韓国での翻訳出版は1960年代に始まり、1970年代~80年代には松本清張や森村誠一、梶山季之の作品が人気を集めた。そして1990年代には島田荘司の『占星術殺人事件』や綾辻行人の館シリーズ(6作目まで)、赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズ、大沢在昌の『相続人TOMOKO』および新宿鮫シリーズ(4作目まで)、桐野夏生の『顔に降りかかる雨』、『OUT』、高村薫の『マークスの山』、『照柿』、森博嗣のS&Mシリーズの第3作『笑わない数学者』などが翻訳出版されたりしたが、英米のミステリと比べれば翻訳出版数はあまり多くなく、韓国における日本の推理小説の存在感はまだそれほど大きくなかったようである。韓国大手の書店チェーン教保文庫のデータによれば、教保文庫の2002年のミステリ小説の売り上げは英米の作品が86パーセント、韓国の国産作品が7パーセントを占めており、売り上げに占める日本の作品の割合は1.1パーセントに過ぎなかった(参照:中央日報2012年6月19日「国別に楽しむ推理小説」※リンク先韓国語)。 日本ミステリの翻訳の急増 日本ミステリの翻訳出版数が急増するのは2006年・2007年ごろからである。韓国推理作家協会が年間のミステリ出版点数を2006年から記録しているので、元言語別のデータを見てみよう。 韓国におけるミステリの年間出版点数(韓国推理作家協会『季刊ミステリ』34号[2011年冬号]より) 英語圏 日本 韓国 その他 合計 2006年度 77 32 20 18 147 2007年度 111 72 17 35 235 2008年度 103 96 27 41 267 2009年度 125 98 38 33 294 2010年度 113 125 32 32 302 2011年度 90 95 44 49 278 ※毎年末に刊行の『季刊ミステリ』冬号にデータが掲載されるため、集計期間はそれぞれ前年12月~当年11月である。 ※広義のミステリ。また、復刊や新訳も含まれる。 これを見ると、まずミステリの出版点数自体が2006年以降急増していることが分かる(残念ながらそれ以前のデータがないので、この「急増」が正確にいつ始まったのかは分からない)。2006年におよそ150点だった出版点数が3年後の2009年には年間約300点と倍になっている。その中でも特に伸びが見られるのは日本ミステリの出版点数である。2006年に韓国で翻訳出版された日本ミステリは32点だったが、それが翌年には72点と倍以上になり、そしてその翌年には100点近くに達している。 いくら日本ミステリの翻訳出版数が伸びているとはいえ、それでも韓国では英語圏のミステリの翻訳出版数の方が多い――と、少し前までは説明していたのだが、つい最近になってやっと2010年と2011年のデータを手に入れたところ、ついに2010年には日本ミステリの翻訳出版数が英語圏ミステリの翻訳出版数を上回ったということが分かった。もっともそんなに大差がついているわけではないので、韓国では英語圏と日本のミステリの翻訳出版数が均衡していて、どちらもだいたい年間100点ほど出版される、とここ数年の傾向をまとめてもいいだろう。 気になるのは、2006年以来上昇傾向にあったミステリ全体の出版点数が2011年に減少に転じていることである。英語圏ミステリも日本ミステリも出版数が減少している。これは一時的なものなのか、それともこのまま減少の傾向が続いてしまうのか、気になるところである。全体的な減少の中で非英語圏ミステリの翻訳出版数が増加しているが、これは北欧やドイツのミステリの翻訳出版が増えているためである。 韓国の国産ミステリの割合は毎年10パーセント台である。1980年代初頭から1990年代初頭にかけて、韓国ではキム・ソンジョン(金聖鍾)を筆頭とする国内作家が人気を集め、国産ミステリが比較的好調な時期が続いた。それがアジア通貨危機(1997年)などによる出版不況で低迷期に入るのが1990年代後半のことである。作品を発表できる機会が少なくなり、新人がデビューするための道も閉ざされ、ミステリ市場における国産作品の存在感は低下していった。有望な新人が出るなどして韓国の国産ミステリが復活の兆しを見せ始めたのはここ数年のことである。 ちなみに韓国では現在、年間600点ほどのペースでライトノベルが出版されている。そのうち、日本のライトノベルの翻訳が占めるのは約530~540点で、残りの約60~70点が韓国の国産ライトノベルである。詳細は「韓国におけるライトノベルの年間出版点数と歴史」参照。 人気・評価の高い作品は? 日本のどの作家の作品が訳され、どの作品の人気・評価が高いのかを知るには、日本ミステリのファンが集う韓国のWebサイト「日本ミステリを楽しむ」が参考になる。このサイトでは2007年以降、日本ミステリの年間ランキングを決定するためのアンケートを毎年実施している。 韓国のWebサイト「日本ミステリを楽しむ」の日本ミステリランキング 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 1位 『暗黒館の殺人』綾辻行人、『ZOO』乙一 『贄の夜会』香納諒一 『告白』湊かなえ 『密室殺人ゲーム王手飛車取り』歌野晶午 『奇想、天を動かす』島田荘司 2位 - 『インシテミル』米澤穂信 『警官の血』佐々木譲 『首無の如き祟るもの』三津田信三 『山魔の如き嗤うもの』三津田信三 3位 『殺戮にいたる病』我孫子武丸 『倒錯のロンド』折原一 『私が殺した少女』原尞 『名探偵の掟』東野圭吾 『カラスの親指』道尾秀介 4位 『OUT』桐野夏生 『GOTH リストカット事件』乙一 『天使のナイフ』薬丸岳 『沈黙の教室』折原一 『密室殺人ゲーム2.0』歌野晶午 5位 『チーム・バチスタの栄光』海堂尊 『楽園』宮部みゆき 『生ける屍の死』山口雅也 『冤罪者』折原一 『追想五断章』米澤穂信 6位以下の作品は以前に「こちら」でまとめました。 こうして見ると、日本の最新の話題作が軒並み翻訳されていることが分かる。 最も多く作品が翻訳されている作家は? ランキングを見るだけでは分からないが、21世紀以降の日本ミステリの翻訳出版ブームで最も多く作品が翻訳されているのは東野圭吾と宮部みゆきだろう。東野圭吾は1999年に『秘密』が翻訳されたのが最初で、以来2011年末までに約50点の翻訳書が出ている。特に2007年から2009年にかけては年間平均9点というペースで翻訳書が出版されていた。東野圭吾の代表作の一つである『白夜行』が日本より早く韓国で映画化されたということにその人気が伺える。ほかに『容疑者Xの献身』も韓国で映画化の予定である(2012年10月公開予定)。宮部みゆきは2000年に『火車』が翻訳されたのが最初で、2011年末までに約40点の翻訳書が出版された。『火車』は韓国で映画化されている。なお韓国では東野圭吾は「ヒ先生」、宮部みゆきは「ミミ女史」という愛称で呼ばれることもある(一応説明しておくと、「ミ」ヤベ・「ミ」ユキのようにイニシャルを取っているわけである)。韓国のミステリファンの方に聞いてみたところ、この種の愛称で呼ばれるのは今のところこの二人だけだそうである。 ミステリ作品の割合はそれほど多くないが、恩田陸も2005年に『夜のピクニック』が訳されて以来、40点ほどの翻訳書が出ている。その人気のほどは、2001年にデビューした韓国のファンタジー作家のチョ・ソニ(조선희)が近年、「韓国の恩田陸」と呼ばれるていることにも伺える。「韓国の恩田陸」という呼び方は今では出版社も使っているが、最初に使い出したのが読者たちなのか、それともそもそも出版社側が使い始めたものなのかは分からない。韓国にはほかに、「韓国の東野圭吾を夢見る若い作家の誕生!」という売り文句でデビューしたヤン・ジヒョン(양지현、1983年生)という作家もいるが、2010年のデビュー作『記憶は眠らない』以降、新作は刊行されていない。「韓国の宮部みゆき」と呼ばれている作家はいないようである。 主なミステリ作家の翻訳状況 2011年に韓国で出版された日本ミステリで、ファンの間で最も高い評価を得たのは島田荘司の『奇想、天を動かす』だった(上で示したランキング参照)。なおこの作品は、2011年に韓国で出版された全ミステリ小説を対象とするランキングでも1位に輝いている。 韓国のミステリ情報サイト「ハウミステリ」(How Mystery)のミステリランキング 順位 タイトル 作者 国 年 1位 奇想、天を動かす 島田荘司 日本 1989年 2位 死んだギャレ氏 ジョルジュ・シムノン ベルギー 1931年 ラスト・チャイルド ジョン・ハート アメリカ 2009年 4位 パイは小さな秘密を運ぶ アラン・ブラッドリー カナダ 2009年 5位 精神自殺(*仮) ト・ジンギ(都振棋) 韓国 2011年 6位 フランス白粉の謎 エラリー・クイーン アメリカ 1930年 7位 山魔の如き嗤うもの 三津田信三 日本 2008年 8位 白雪姫には死んでもらう(*仮) ネレ・ノイハウス ドイツ 2010年 9位 弁護側の証人 小泉喜美子 日本 1963年 戻り川心中 連城三紀彦 日本 1980年 シャーロック・ホームズのライヴァルたち チョン・テウォン編訳 英米 - 5位:도진기『정신자살』(闇の弁護士シリーズ第3作。本格推理小説) 8位:Nele Neuhaus, Schneewittchen muss sterben (酒寄進一氏の翻訳で東京創元社より邦訳予定。『白雪姫には死んでもらう』は酒寄氏による仮題) 12位以下の作品は以前に「こちら」でまとめました。 島田荘司は中国語圏で高い評価を受け、台湾でも中国でも作品が軒並み翻訳されている。一方で、実は韓国ではまだあまり翻訳が進んでいない。1990年代に『占星術殺人事件』が『顔のない時間』、『アゾート』、そして原題通りの『占星術殺人事件』とタイトルを変えて三度刊行されていたというのは「韓国ミステリ史 第四章」で述べた。その後、2006年に『占星術殺人事件』が新訳で刊行され、2007年に『魔神の遊戯』、2008年に『龍臥亭事件』、2009年に『斜め屋敷の犯罪』、2010年に『異邦の騎士』が翻訳され、それに続く6作目の翻訳紹介作として2011年2月に刊行されたのが『奇想、天を動かす』である。この作品の評価が高かったこともあってか、その後島田荘司作品は2012年9月現在までにさらに5作品が翻訳出版されている。 翻訳書が10点以上出ている作家 さて、そのほかの作家の翻訳状況だが、挙げていけばきりがないので、翻訳書が10点以上出版されている作家をまず見てみよう(ここでは近年の翻訳ブームについて記述しているので、主に1990年代までに翻訳され、その後はほとんど翻訳されていない作家[たとえば森村誠一や西村京太郎、笹沢左保ら]については言及しない)。 綾辻行人、有栖川有栖、折原一はそれぞれ翻訳書が10点ずつ出ている。 綾辻行人の作品は、まず1997年に《館シリーズ》の最初の6作品(十角館、水車館、迷路館、人形館、時計館、黒猫館)が翻訳刊行されたが、売れ行きが振るわずすぐに絶版になってしまった。しかし数年経つとミステリマニアの口コミで評判が広まっていく。2005年に『十角館の殺人』と『時計館の殺人』が復刊され、2007年にはシリーズ第7作『暗黒館の殺人』が翻訳された。《館シリーズ》はその後、2011年1月に『迷路館の殺人』、2012年3月に『水車館の殺人』が新訳で刊行されたが、『人形館の殺人』と『黒猫館の殺人』についてはまだ入手不可が続いている。シリーズ第8作『びっくり館の殺人』は訳されていないが、最新のシリーズ第9作『奇面館の殺人』は2012年内には翻訳刊行される予定である。また、『黒猫館の殺人』の復刊(新訳?)と《囁きシリーズ》の第1作『緋色の囁き』の翻訳出版も予告されている。《館シリーズ》以外では『霧越邸殺人事件』、『殺人方程式』、『Another』が翻訳されている。 有栖川有栖はまず2007年に学生アリスシリーズの『月光ゲーム』が翻訳されている。同シリーズはその後、2008年に『孤島パズル』、2010年に『双頭の悪魔』が訳された。作家アリスシリーズでは、2008年に短編集『白い兎が逃げる』、2009年に短編集『絶叫城殺人事件』と『46番目の密室』、2011年に『朱色の研究』、2012年に『ダリの繭』が訳されている。またノンシリーズ作品では2010年に『山伏地蔵坊の放浪』、2011年に『虹果て村の秘密』が訳された。 折原一は理論社のヤングアダルト向けレーベル《ミステリーYA!》から出た『タイムカプセル』が2008年に翻訳されたのが最初で、その後同年に『倒錯のロンド』、2009年に『行方不明者』、『倒錯の死角』、2010年に『冤罪者』、『失踪者』、『逃亡者』、『沈黙の教室』、2011年に『異人たちの館』、2012年に『倒錯の帰結』が訳されている。 歌野晶午の翻訳は2010年以降急増した。現在までに15点の翻訳書が出ているが、内訳は2005年が1点、2010年以降が14点である。まず2005年に『葉桜の季節に君を想うということ』が翻訳出版された。そして2010年に順に『死体を買う男』、『そして名探偵は生まれた』、『女王様と私』、『密室殺人ゲーム王手飛車取り』、『ハッピーエンドにさよならを』、2011年に順に『密室殺人ゲーム2.0』、『魔王城殺人事件』、『長い家の殺人』、『白い家の殺人』、『世界の終わり、あるいは始まり』、『動く家の殺人』、2012年に順に『舞田ひとみ11歳、ダンスときどき探偵』、『舞田ひとみ14歳、放課後ときどき探偵』、『密室殺人ゲーム・マニアックス』が訳された。 京極夏彦は翻訳書が12点出ている。2000年、百鬼夜行シリーズのサイドストーリー集である『百鬼夜行 陰』がなぜが最初に翻訳刊行された。その後同シリーズは、2004年に『姑獲鳥の夏』、2005年に『魍魎の匣』、2006年に『狂骨の夢』、2007年にサイドストーリー集『百器徒然袋 雨』、2008年にサイドストーリー集『百器徒然袋 風』、2010年に『鉄鼠の檻』が訳された。また、2009年に『巷説百物語』、2010年に『嗤う伊右衛門』、2011年に『続巷説百物語』、『死ねばいいのに』、『厭な小説』が訳されている。 道尾秀介は翻訳書が11点出ている。2008年にまず『シャドウ』が訳され、続いて2009年に『向日葵の咲かない夏』、2010年に『片眼の猿』、『鬼の跫音』、『龍神の雨』、『ソロモンの犬』、2011年に『月と蟹』、『カラスの親指』、『カササギたちの四季』、2012年に『球体の蛇』、『水の柩』が訳された。真備シリーズは『背の眼』の漫画版(全3巻)が2010年に翻訳されているが、小説版は翻訳されていない。 非ミステリ作品も多いが、貴志祐介は翻訳書が10点出ている。2003年に『天使の囀り』(2003年版は上下巻、2007年に1冊にして復刊)が訳され、2004年に『黒い家』、『青の炎』、2006年に『硝子のハンマー』、2009年に『新世界より』、『十三番目の人格 ISOLA』、『クリムゾンの迷宮』、2010年に『狐火の家』、2011年7月に『悪の教典』、2012年7月に『ダークゾーン』が訳された。2011年10月と2012年8月には韓国で貴志祐介のサイン会も行われている。 伊坂幸太郎は翻訳書が20点出ている。2005年に『チルドレン』が訳され、2006年に『ラッシュライフ』、『死神の精度』、『重力ピエロ』、『終末のフール』、『魔王』、2007年に『陽気なギャングが地球を回す』、『砂漠』、『フィッシュストーリー』、『アヒルと鴨のコインロッカー』、『陽気なギャングの日常と襲撃』、2008年に『ゴールデンスランバー』、2009年に『モダンタイムス』、『オーデュボンの祈り』、『グラスホッパー』、2010年に『SOSの猿』、『あるキング』、2011年に『バイバイ、ブラックバード』、『マリアビートル』、『オー! ファーザー』が訳された。日本で単行本化された作品で韓国で翻訳出版されていないのは2012年刊行の『PK』と『夜の国のクーパー』だけである。 松本清張と赤川次郎についてはのちほど扱う。 その他の作家 まず、翻訳書が7点~9点ほど出ている作家を目についた限りで挙げていく。 おそらくは日本国内の『謎解きはディナーのあとで』ブーム、東川篤哉ブームが伝わったのだろう。東川篤哉はこの1年半ほどで一挙に9作が翻訳されている。最初の翻訳は2011年4月の『館島』。2011年5月に『謎解きはディナーのあとで』が訳され、その後2011年内に『完全犯罪に猫は何匹必要か?』、『密室の鍵貸します』が訳された。2012年になってからは『密室に向かって撃て!』、『放課後はミステリーとともに』、『はやく名探偵になりたい』、『もう誘拐なんてしない』、『殺意は必ず三度ある』と、すでに5点が翻訳出版されている。なお、『放課後はミステリーとともに』と『殺意は必ず三度ある』のカスヤナガトによる表紙イラストは韓国でもそのまま使われている。日本のライトノベルは韓国でも同じ表紙で刊行されるが、ミステリで日本と同じ表紙が使われるのは珍しい。 横山秀夫(翻訳書9点)はまず2004年に『半落ち』が訳され、2005年に『クライマーズハイ』、2007年に『臨場』、『ルパンの消息』、『陰の季節』、『動機』、2008年に『真相』、『第三の時効』、2010年に『顔』が訳された。 海堂尊(翻訳書8点)は2007年に『チーム・バチスタの栄光』が訳され、2008年に『ナイチンゲールの沈黙』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』、『ジーン・ワルツ』、2010年に『螺鈿迷宮』、『医学のたまご』、2012年に『夢見る黄金地球儀』、『モルフェウスの領域』が訳されている。 若竹七海(翻訳書8点)は2007年に『ぼくのミステリな日常』、2008年に『プレゼント』、2009年に『死んでも治らない』、『依頼人は死んだ』、2010年に『ヴィラ・マグノリアの殺人』、『古書店アゼリアの死体』、『猫島ハウスの騒動』、『名探偵は密航中』が訳された。 我孫子武丸(翻訳書7点)はまず2006年に『弥勒の掌』が翻訳され、2007年に『殺戮にいたる病』、2009年から2011年にかけて《人形シリーズ》全4作(『人形はこたつで推理する』、『人形は遠足で推理する』、『人形は眠れない』、『人形はライブハウスで推理する』)、2012年に『探偵映画』が訳されている。なお、『殺戮にいたる病』は韓国では19禁書籍に指定されてしまっている。 貫井徳郎(翻訳書7点)は2008年に『慟哭』が訳され、2009年に『失踪症候群』、『誘拐症候群』、『殺人症候群』、2010年に『愚行録』、2011年に『乱反射』、2012年に『後悔と真実の色』が訳された。 米澤穂信(翻訳書7点)は2007年6月に『春期限定いちごタルト事件』と『夏期限定トロピカルパフェ事件』が訳され、2008年に『インシテミル』、2010年に『儚い羊たちの祝宴』、2011年に『追想五断章』、『犬はどこだ』、2012年に『折れた竜骨』が訳された。古典部シリーズはまだ翻訳されていない。 以下は、ページ作成者の趣味で新本格作家やメフィスト賞作家の翻訳状況について。 法月綸太郎は2010年に『生首に聞いてみろ』が翻訳され、2011年に『怪盗グリフィン、絶体絶命』、2012年に『頼子のために』が翻訳された。麻耶雄嵩は未訳だが、2012年に『貴族探偵』の翻訳刊行が予定されている。 北村薫は2004年に『月の砂漠をさばさばと』が訳され、2006年に『語り女たち』、『スキップ』、2007年に『リセット』、2009年に『ターン』、『紙魚家崩壊』が訳された。山口雅也は2009年に訳された『生ける屍の死』が高い評価を受けたが、訳されているのはこの1冊のみである。倉知淳は2011年に『星降り山荘の殺人』が訳されている。 鮎川哲也賞受賞作家のうち韓国語訳書があるのは芦辺拓、加納朋子、近藤史恵、北森鴻、岸田るり子の5人である。芦辺拓は2007年に『紅楼夢の殺人』が訳された。加納朋子は2008年に『螺旋階段のアリス』、『虹の家のアリス』、2010年に『ガラスの麒麟』、2011年に『掌の中の小鳥』、『少年少女飛行倶楽部』が訳された。近藤史恵は2008年に『凍える島』、2009年に『サクリファイス』、2010年に『賢者はベンチで思索する』が訳された。北森鴻は2012年に『花の下にて春死なむ』、岸田るり子は2008年に『天使の眠り』が訳された。 森博嗣は意外にもあまり翻訳されていない。1996年にS&Mシリーズの第三作『笑わない数学者』が翻訳され、その後2005年にシリーズ第一作の『すべてがFになる』が翻訳されたが、それ以降シリーズの紹介は進んでいない。ほかに訳されているのは、『STAR EGG 星の玉子さま』、『少し変わった子あります』、『探偵伯爵と僕』である。 メフィスト賞受賞作で『すべてがFになる』以外に翻訳されているのは、殊能将之『ハサミ男』、舞城王太郎『煙か土か食い物』、佐藤友哉『フリッカー式』、西尾維新『クビキリサイクル』、北山猛邦『『クロック城』殺人事件』、辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』、森山赳志『黙過の代償』である。第33回受賞作の森山赳志『黙過の代償』は日韓同時刊行だった。ほかに、清涼院流水『コズミック』が2012年中に翻訳刊行の予定である。 受賞作を含むメフィスト賞作家の全翻訳状況は「こちら」でまとめた。 旧作の翻訳は? 横溝正史とその他の探偵作家 翻訳されるのは比較的新しい作品が多く、1970年代以前の作品の翻訳は毎年数えるほどである。そんな中で、横溝正史の金田一耕助シリーズは韓国で異例の人気を得ている。エキサイトニュースの記事「韓国で今、横溝正史がヒットするワケ」(2008年10月17日)によれば、韓国では漫画『金田一少年の事件簿』の人気が先にあって、その結果「金田一耕助って誰?」ということで横溝人気に火がついたのだという。同記事によると、『犬神家の一族』は韓国では発売から1か月半で1万6000部を販売している。『犬神家の一族』発売の1か月後に刊行されたジャンル小説誌『ファンタスティーク』18号(2008年10月号)では横溝正史特集が組まれている。2005年から2012年9月現在までに、韓国・時空社から翻訳出版された金田一耕助シリーズ作品は順に『獄門島』、『八つ墓村』、『悪魔の手毬唄』、『犬神家の一族』、『悪魔が来りて笛を吹く』、『夜歩く』、『女王蜂』、『三つ首塔』、『本陣殺人事件』(「車井戸はなぜ軋る」、「黒猫亭事件」併録)の9点である。 江戸川乱歩の作品は中国では海賊版も含めれば軒並み翻訳されており、紹介が遅れていた台湾でも2010年から2012年にかけて島崎博氏監修の全13巻の《江戸川乱歩作品集》が刊行された。一方、韓国では2008年から2009年にかけてちくま文庫の『江戸川乱歩全短篇』(全3巻)が翻訳されているというのは乱歩ファンとして嬉しいが、ほかに韓国で出ているのは長編『孤島の鬼』および、『陰獣』を表題作とする短編集(「陰獣」+新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』に収録の9編)ぐらいである。 2005年には小栗虫太郎『黒死館殺人事件』が翻訳され、2011年には新訳版も出た。2008年には夢野久作『ドグラ・マグラ』が翻訳されている。三大奇書の残りの1冊である中井英夫『虚無への供物』は2009年に翻訳された。なお、四冊目の奇書とされる竹本健治『匣の中の失楽』は、韓国推理作家協会の理事などを務めたミステリ評論家・翻訳家のチョン・テウォン(鄭泰原、1954-2011)氏による翻訳が完成しているらしく、数年前には出版が予告されていたが、いまだに出版されていない。 夢野久作はほかに、2011年に『少女地獄』が出ている。収録作は角川文庫の『少女地獄』と同じである。ほかに戦前の探偵作家では、2009年に小酒井不木の短編集『恋愛曲線』、2010年に岡本綺堂の『半七捕物帳』、2012年に甲賀三郎の短編集『血液型殺人事件』が出ている。 以前に作成した「韓国語に翻訳された日本の探偵作家の作品一覧」も参照のこと。 松本清張と赤川次郎 松本清張は1970年代~80年代にはよく訳されたが、近年では代表作しか入手できない状態が続いていた。2012年2月からは推理小説の出版社ブックス・フィアーと歴史小説の出版社モビーディックが手を組み、松本清張の著作を翻訳刊行している。両社で計30点ほどが出版される予定である(2012年9月までで既刊5点)。 赤川次郎の作品は近年多く刊行されているが、どれが復刊でどれが新訳でどれが初訳なのかは未調査。2010年だけでも三毛猫ホームズシリーズの長編第1作~第7作(『三毛猫ホームズの推理』、『三毛猫ホームズの追跡』、『三毛猫ホームズの怪談』、『三毛猫ホームズの狂死曲(ラプソディ)』、『三毛猫ホームズの駈落ち』、『三毛猫ホームズの恐怖館』、『三毛猫ホームズの騎士道』)、早川一家シリーズの全3作(『ひまつぶしの殺人』、『やりすごした殺人』、『とりあえずの殺人』)および、『悪妻に捧げるレクイエム』、『マリオネットの罠』、『上役のいない月曜日』の計13点が出版されている。 2011年には『夜会』が刊行されている。2012年には、日本でテレビドラマ『三毛猫ホームズの推理』(4月~6月)が放送されるのに合わせたものか、2012年3月から6月にかけて、2010年に刊行された三毛猫ホームズシリーズの7点が新装版で刊行され(推理、追跡、怪談、狂死曲(ラプソディ)、駈落ち、恐怖館、騎士道)、さらに短編集の『三毛猫ホームズの運動会』、『三毛猫ホームズのびっくり箱』、『三毛猫ホームズのクリスマス』が刊行された。また、2012年8月には杉原爽香シリーズの『若草色のポシェット』、『群青色のカンバス』が出ている。 その他 2010年には鮎川哲也『りら荘事件』が翻訳されている。鮎川哲也の韓国語訳書は今のところこの1点のみである。また2011年には、日本で2009年に復刊されて話題を集めたことが影響したのか、小泉喜美子の『弁護側の証人』が訳されている。泡坂妻夫は2010年に『亜愛一郎の狼狽』、2012年に『亜愛一郎の転倒』が訳された。連城三紀彦は2011年に初期作の『戻り川心中』と『夕萩心中』が訳されており、ほかに2011年に『美女』、『白光』、2012年に『造花の蜜』が訳されている。 関連記事 韓国ミステリ史第一章 (20世紀初頭~1930年代) 第二章 (1940年代~1960年代) 第三章 (1970年代) 第四章 (1980年代~20世紀末) 第五章 (21世紀) ※未公開 韓国におけるライトノベルの年間出版点数と歴史 (2012年8月4日)
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2011年11月8日 「韓国ミステリ史」は、20世紀初頭から現代(2011年)までの韓国の探偵小説/推理小説/ミステリの歴史を、第一章から第五章(+特別編2ページ)の全7ページに分けて紹介するものである。 『韓国ミステリ史 第一章』では、そのうち20世紀初頭から1930年代までを扱っている。 目次 はじめに 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 第三節 探偵小説専門作家不在の時代(1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 参考文献 はじめに 今から約10年前、早川書房の『ミステリマガジン』2000年10月号は「コリアン・ミステリ・ナウ」と題する韓国ミステリの特集を組んだ。その特集ページの扉に書かれた文を引用する。 かつては“近くて遠い国”といわれた韓国も、近年では映画「シュリ」(Wikipedia)が日本でも大ヒットしたり、日本のアイドルが韓国で人気を博すなど、しだいに身近な存在になりつつあります。しかし、ことミステリに関しては、日本の作品がいくつか輸出されているだけで、彼の地の現状はまだまだ未知数。そこで今月号は、ミステリを中心に、SF、映画、文学など、韓国の最新文化事情について探ってみます。(中略)これが日韓友好のささやかな一歩となりますように。 それから10年。引用中では「日本の作品がいくつか輸出されているだけ」とされているが、いまや韓国では日本のミステリが年間100タイトル近く翻訳刊行されている。しかし一方で、いまだに日本に住む多くの人にとって韓国ミステリ界は未知のものである。 このページでは、韓国で唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』の編集長を務めるパク・クァンギュ(朴光奎/박광규)氏が書いたいくつかの記事を基礎資料として、韓国推理小説の100年の歴史を紹介する。 【注】 人名の表記について ここ数年は、韓国の人物の名前は【1】漢字で表記して現地の読みで振り仮名を振るか、または【2】漢字を使用せずに発音通りカタカナで書くかのどちらかが普通である。「読む」ということだけを考えればどちらでも問題ないが、「入力する」というときに前者は大いに問題になる。たとえば、2009年に邦訳が出ている韓国の推理作家に李垠(イ・ウン)がいる。仮に何かの紙媒体で彼の名前を見掛けて、気になってネット上で検索してみようとした時に、「垠」は読み方が分からないので入力できない(入力が面倒)という問題が発生する。ほかにも、韓国のミステリ作家の名前を見ていると、白恷、黄世鳶、鄭建燮、柳禹提など、入力の仕方が分からない文字が頻発する。 そのためこのページでは、作家の名前は基本的に現地の発音通りでカタカナ書きとし、補助的に後ろに漢字を付けることにする。ただし、日本ですでに漢字表記で知られている作家名についてはその限りではない。 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期 第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 韓国ミステリの草創期については韓国でもまだ研究の途上にあり、ここ10年でも「韓国初の創作探偵小説」とされる作品は何度か変わっている。2011年現在、日本語で書かれた韓国ミステリ概説としてもっとも詳しいと考えられる3つの資料を見てみよう。 鄭泰原(チョン・テウォン)「韓国ミステリ事情」(早川書房『ミステリマガジン』2000年10月号) 金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(光文社『ジャーロ』4号(2001年夏号)) 米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(李垠(イ・ウン)『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月、巻末解説) この中では、金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(2001)が「韓国の推理小説は金来成(キム・ネソン)に始まる」という韓国での通説を紹介している。金来成(キム・ネソン)は1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』(Wikipedia)でデビューし、1937年からは韓国(朝鮮)で推理作家として活躍した人物である。単に紙幅の関係でそれ以前の歴史を省略しただけかもしれないが、この通説は、「韓国で最初に探偵小説を書いたのは金来成だ」と誤って拡大解釈される場合があるので注意が必要である。金来成(キム・ネソン)は日本でいえば江戸川乱歩に相当する人物であり、江戸川乱歩以前に黒岩涙香らの先達がいるのと同じように、金来成(キム・ネソン)以前にも推理小説を書いていた人物はいた。近年日本で刊行された『近代朝鮮文学日本語作品集』では、金来成が『ぷろふいる』で発表したデビュー作(日本語作品)「楕円形の鏡」(1935)が「朝鮮で最初の探偵小説である」(1901-1938 創作篇 第5巻)、「朝鮮人による最初の探偵小説である」(1901-1938 評論・随筆篇 第3巻)とされているが、これは誤りである。 次に、韓国推理作家協会の鄭泰原(チョン・テウォン)氏による「韓国ミステリ事情」(2000)を見てみよう。これは韓国でも屈指のミステリ評論家・翻訳家・収集家である氏の手によるものなので信頼が置けるが、これによれば韓国初の創作探偵小説は純文学作家のチェ・マンシク(蔡萬植)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で書いた1934年の新聞連載作品『艶魔(えんま)』だという。 上で見た2つの資料は2001年以前のものだが、その後2002年に韓国の新聞『中央日報』に「韓国初の推理小説『血の袈裟』発見」(2002年10月15日付け、リンク先韓国語)という記事が載っている。この記事では、1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が発表した『血の袈裟』(原題漢字表記:『血袈裟』)という作品が発見されたと報じられている。これはチェ・マンシクの『艶魔』(1934)や、それ以前の初の探偵小説だとする議論が当時あったチェ・ドッキョン(최독견)の『死刑囚』(1931)よりもさらに古いことになる。この『血の袈裟』は、韓国唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』に全文復刻されたが、中央日報にすぐさま別の説が提出されるなど、韓国初の創作探偵小説をめぐる議論は紛糾した(中央日報2002年10月23日付け記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」(リンク先韓国語))。 東アジアのミステリは、中国を起源に日本や韓国などに広まった「裁判小説」にその源流の一端があり、それを基層にして欧米の「探偵小説」を受容することで東アジアの探偵小説が誕生した。そのため、韓国初の創作探偵小説を探る場合にも、作品が「裁判小説」の単なる発展形なのか、それとも欧米探偵小説の影響下に生まれた「探偵小説」なのかが議論になる。上記の記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」では、イ・ヘジョ(李海朝)(1869-1927)が1908年末から1909年初めにかけて新聞連載した『双玉笛(そう ぎょくてき)』が最初の「探偵小説」と呼べるか否かが議論になっている。 そして2011年現在では、米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(2009)等で示されているように、この『双玉笛(そう ぎょくてき)』を韓国初の創作探偵小説だとするのが一般的のようである。 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 韓国では「新小説」(Wikipedia)の担い手として知られるイ・ヘジョ(李海朝)(이해조)(韓国語版Wikipedia)は1869年生まれ(比較のために示すと、コナン・ドイルが1859年生まれ、黒岩涙香が1862年生まれである)。1907年に帝国新聞に入社し『帝国新聞』(제국신문)紙上で小説を次々と発表。1908年末から1909年初めにかけて、韓国初の探偵小説とされる『双玉笛(そう ぎょくてき)』(サン オクチョク/쌍옥적/雙玉笛)(写真)を連載した。鄭(チョン)刑事が、笛のうまい兄弟の強盗殺人犯を追うというストーリーの作品である。裁判小説の流れをくむものだが、「犯罪の発生 - 事件の捜査 - 解決」という構成を備えており、また探偵役が偶然ではない証拠と推理で事件を解決することから、韓国初の創作探偵小説だとされる。またこの作品は、タイトルの角書きとして「偵探小説」(정탐소설、偵探小說)ということばが添えられているので、そのことからも、この作品が従来の「裁判小説」とは一線を画す「探偵小説」として書かれたことが分かる。 イ・ヘジョはその後、1910年には毎日新報に入社し、『毎日新報』紙上で小説を発表。1912年には、探偵小説『九疑山』(きゅうぎ さん)(구의산)を連載している。新婚初夜、花嫁が目をさましてみると夫の首がなくなっている。妻は復讐を誓い男装の探偵となって犯人を捜索する――というストーリーである。 なおイ・ヘジョは、1908年、ジュール・ヴェルヌのSF小説"Les 500 Millions de la Bégum"(1879)(現在の邦題:インド王妃の遺産)の日本語訳(または中国語訳)を韓国語に翻案した『鉄世界』を発表しており、韓国でのSF小説の紹介にも貢献している。(1907年にヴェルヌの『海底二万里』が韓国語になっており、これが韓国に紹介された最初のSF小説とされている) 韓国を含む東アジアのミステリの源流の一つである裁判小説については、簡単にではあるが「東アジアミステリの源流」にまとめている。 韓国での最初のSF受容については、「韓国SFに関するネット上の2つの基本文献について」でごく簡単に紹介している。 同時代のアジアの動向 日本では、須藤南翠「殺人犯」(1888年)、または黒岩涙香「無惨」(1889年)が初の創作探偵小説だとされる。 中国では、1885年発行と推定される知非子「冤獄縁(えんごくえん)」が初の創作探偵小説だとされている。ただし、中国に初めて欧米の探偵小説が翻訳されるのよりも11年も早いことから、その発行年に関しては議論がある。 第三節 探偵小説専門作家不在の時代 前述の通り韓国ではイ・ヘジョが先駆的に創作探偵小説を発表したが、この時期にはまだ欧米の探偵小説の韓国語への翻訳はなされていなかった。その後、1910年代以降、欧米の探偵小説の韓国語への翻訳が少しずつ進み、創作探偵小説も次第に増えていく。 (1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 韓国(朝鮮)では1910年代から1920年代にかけて、日本の小説(翻案小説含む)を翻案した作品が人気を博していた。黒岩涙香の翻案小説もいくつか再翻案されている。主なものを以下に示す。 ※原著のタイトルおよび初出年、黒岩涙香の作品の初出年については、今のところWikipediaでざっと調べただけです。後に調べなおします。 再翻案 黒岩涙香による翻案 原著 ミン・テウォン 『哀史』(1910)(2008年版) 黒岩涙香 『噫無情(ああむじょう)』(1902) ヴィクトル・ユーゴー 『レ・ミゼラブル』(1862) イ・サンヒョプ 『貞婦怨』(1914)(2007年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『捨小舟』(1894) メアリー・エリザベス・ブラッドン 『Diavola』(1866) イ・サンヒョプ 『海王星』(1916)(2007年版 上巻、中巻、下巻) 黒岩涙香 『巌窟王』(1901) アレクサンドル・デュマ 『モンテクリスト伯』(1844) ミン・テウォン 『鉄仮面』(1922)(2008年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『鉄仮面』(1892) フォルチュネ・デュ・ボアゴベ 『サンマール氏の二羽のつぐみ』(1878) 以上の4作品は、2007年から2008年にかけて韓国で刊行された叢書「韓国の翻案小説」(한국의 번안 소설)(全10巻(6作品))で刊行されている【注1】。19世紀末から20世紀初頭にかけて、黒岩涙香の作品はほかに中国語にも翻訳されていた。この当時、黒岩涙香は日本のみならず東アジア中を席捲していたのである。 注1:同叢書で刊行された残りの2作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案したチョ・ジュンファン『長恨夢』(1913)(2007年版)と、菊池幽芳の『己が罪』(1899)を翻案したチョ・ジュンファン『双玉涙』(1910年代?)(2007年版)である。『金色夜叉』の登場人物「貫一とお宮」は有名だが、その翻案作品『長恨夢』の登場人物「イ・スイルとシム・スネ」(이수일 と 심순애)も、韓国では知らない人がいないぐらいの有名なキャラクターであるらしい。また、『金色夜叉』は未完作品だが、その翻案作品『長恨夢』はハッピーエンドで終わるとのこと。 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 初めて韓国語になった欧米の探偵小説は、1918年に『泰西(テソ)文芸新報』(태서문예신보)に掲載された「忠僕」(충복)だとされる。これはコナン・ドイルのホームズ物の短編"The Adventure of the Three Students"(邦題:三人の学生)の翻案である。ホームズの韓国での受容については、パク・チニョン(박진영)氏がブログの記事でまとめている。 셜록 홈스 시리즈 한국어 번역 연표(シャーロック・ホームズシリーズ韓国語翻訳年表)(2009年9月30日) この当時に紹介された欧米の探偵小説は、主に日本から入ってきたドイル、ポー、ルブラン、ヴァン・ダインなどだった。翻訳者にはヤン・ジュドン(梁柱東/양주동)(韓国語版Wikipedia)、キム・ユジョン(金裕貞/김유정)(Wikipedia)(『ベンスン殺人事件』を『도둑맞은 보석』として翻訳、死後に雑誌連載された)、ヨム・サンソプ(廉想渉/염상섭)(Wikipedia)など純文学界で活動していた人も見られる。 パク・チュンピョ(朴埈杓)(박준표)は1923年には探偵小説『飛行の美人』(비행의 미인)(韓興書林)を出している。これはパリを舞台にした「ジゴマもの」だという(李建志1994)。パク・チュンピョは1926年には探偵小説『黒い箱』(原題『黒箱子』(흑상자))(デジタルハングルミュージアム)を出した。この原作者はアメリカのFred Jacksonだというが、何者なのかはよく分からない。『飛行の美人』の方もおそらく翻案だろう。 この時期の韓国の翻訳・翻案小説についての研究にパク・チニョン(박진영)氏の『翻訳と翻案の時代』(번역과 번안의 시대)(2011年8月)があるが、未見。パク・チニョン氏は上で示した叢書「韓国の翻案小説」の編者でもある。 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 この時期の探偵小説は翻訳・翻案が主流だったが、1920年代半ばから再び創作探偵小説が登場する。1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が『血の袈裟』(血袈裟、혈가사)を刊行(最初の発表は雑誌で、1920年ごろ。ウルサン新聞2010年1月6日記事「韓国最初の探偵小説「血の袈裟」」(韓国語)参照)。しかしこれは警察にすぐに押収されてしまい、世に知られず埋もれてしまった。 児童文学作家のパン・ジョンファン(方定煥)(방정환)(1899-1931)(韓国語版Wikipedia)は、児童向けの探偵小説『妹を探しに』(동생을 찾으러)(1925)(2009年9月版)、『チルチル団の秘密』(칠칠단의 비밀)(1926)(1999年版、2002年版、2010年5月版、2010年8月版)、『少年三台星』(소년삼태성)、『少年四天王』(소년사천왕)を発表した。また、「怪男女二人組」(괴남녀 이인조)というコミカルな短編や、外国の短編を訳した「誰の罪?」(누구의 죄?)などの作品が大衆雑誌に掲載されている。探偵小説を発表する際には北極星(북극성)という筆名を使っている。 1930年代に入ると、1931年にチェ・ドッキョン(최독견)が『死刑囚』(사형수)を連載、1933年にはキム・ウンジョン(김운정)が『怪人』(괴인)を発表(連載??)している。 特筆すべきは、純文学作家として知られるチェ・マンシク(蔡萬植)(채만식)(1902 - 1950)(Wikipedia)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で、1934年に『朝鮮日報』に探偵小説『艶魔』(염마)(1987年の『채만식 전집 1 - 인형의 집을 나와서/염마』等に収録)を連載していることである。チェ・マンシクは早稲田大学英文科中退の純文学作家で、当時は『朝鮮日報』の記者。『艶魔』の連載当時、著者のソ・ドンサンがチェ・マンシクと同一人物だと知っていたのは一部の関係者だけで、この事実は1987年に初めて公になった。『艶魔』には名探偵ペク・ヨンホ(백영호)が登場。27歳の独身男性で、シャーロック・ホームズを思わせる設定がなされているという。 またほかに、キム・ドンイン(金東仁)(김동인)(1900-1951)(Wikipedia)などの韓国を代表する文学作家もペンネームでスパイ小説に近い作品を発表している。 最近の韓国では、今まで忘れ去られていた探偵作家の発掘が進んでいる。韓国のミステリ雑誌『季刊ミステリ』2010年秋号(第29号)の特集「戦前の忘れられた二人の作家」では、シン・ギョンスン(신경순)とチェ・ユボム(최유범)が取り上げられている。この号は入手できていないので詳細は分からないが、シン・ギョンスンには推理短編「巌窟の血闘」(암굴의 혈투)、「ミカドの地下室」(미까도의 지하실)、「血塗れの手帳」(피묻은 수첩)、「第二の密室」(제2의 밀실)、チェ・ユボムには推理短編「スナ惨殺事件」(순아 참살사건)、「嫉妬する悪魔」(질투하는 악마)(1933)、「K博士の名案」(K박사의 명안)、「婚約者の魔性」(약혼녀의 악마성)(1934)、「誰が殺したか!」(누가 죽였느냐!)がある。(チェ・ユボムについては http //churi4u.tistory.com/3 も参照) 1937年には金来成(キム・ネソン)が登場し、初の探偵小説専業作家として活躍を始める。金来成については別のページでまとめた。 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】 戦前の韓国推理小説については、日本語の文献としては李建志(り けんじ)氏の東京大学大学院修士論文『京城の探偵小説』(1994)があるが、未見。また韓国語の文献では、オ・ヘジン(오혜진)氏の『1930年代韓国推理小説研究』(2009年)があるが、未見。 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 この時期の韓国探偵小説で、一般流通の書籍・雑誌等に訳載された作品は見当たらない。金来成が韓国語で発表した短編変格探偵小説「霧魔」(1939)は拙い訳ではあるが当サイトで公開している。 金来成「霧魔」 (韓国語から翻訳) 金来成が日本語で発表した探偵小説2編を読む方法については、「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成 第四章 読書案内」を参照のこと。なお、金来成が日本語で発表したユーモア掌編「綺譚・恋文往来」(1935)は当サイトで公開している。 金来成「綺譚・恋文往来」 (日本語作品) 参考文献 韓国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) ←今見ているページ 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
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『台湾ミステリ史 前編』(19世紀末~1970年代) 『台湾ミステリ史 中編』(1970年代末~1990年代半ば) 『台湾ミステリ史 後編』(20世紀末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』 参考文献 台湾ミステリの歴史 【中国語】『文訊』269号(2008年3月号) - 特集:台灣推理文學的天空(上)綜論陳國偉「本土推理・百年孤寂 台灣推理小說發展概論」(台湾ミステリ通史) 金儒農「喧囂以前 台灣推理小說出版概況」 呂淳鈺「新大眾娛樂 台灣日治時期偵探小說淺介」 陳瀅州「推理小說在台灣 傅博與林佛兒的對話」 - 島崎博と林仏児の対談。『推理雑誌』281号(2008年3月)により詳しい文字起こしあり 創作者群像呂淳鈺「白晝殺人 葉步月與偵探小說」 陳栢青「仇亦深,籌義伸 李費蒙小說世界初探」 (以下、推理作家本人によるエッセイ)葉桑「無可救藥的愛上」 余心樂「以「讀」工「睹」犯罪推理文學與我」 藍霄「台灣推理小說與我」 林斯諺「我只想通霄寫推理小說」 【中国語】『文訊』270号(2008年4月号) - 特集:台灣推理文學的天空(下)林佛兒「我的推理小說之路」 陳琡分「因為有謎,所以迷人 資訊推理迷的回眸與告白」 王品涵「謀殺與創造之時 台灣推理文學研究概況」 編輯部「1980年代以後台灣推理小說目錄及提要(1980~2007)」 台湾ミステリ通史玉田誠(2009)「台湾の本格ミステリー事情」(藍霄『アジア本格リーグ1 錯誤配置』講談社、2009年9月、pp.307-315) 松川良宏(2011)「東アジア推理小説の日本における受容史」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年2月号、pp.12-19) 20世紀前半の台湾探偵小説中島利郎(2001)「日本統治期台湾の探偵小説」(林熊生『船中の殺人/龍山寺の曹老人 第一輯・第二輯(日本植民地文学精選集38 〔台湾編13〕) 』ゆまに書房、2001年9月、pp.1-7) 中島利郎(2002)「日本統治期台湾探偵小説史稿」(『日本統治期台湾文学集成9 台湾探偵小説集』緑蔭書房、2002年11月、pp.351-399) 中島利郎編(2002)「台湾探偵小説年表」(『日本統治期台湾文学集成9 台湾探偵小説集』緑蔭書房、2002年11月、pp.401-418) 1960年代~1980年代の台湾ミステリ島崎博(1967)『日本推理作家協会会報』1967年3月号(231号)会員消息欄に寄稿(タイトルなし、戦後の台湾で翻訳出版された日本ミステリの単行本のリスト)、p.2 島崎博(1968)「台湾の推理小説」(『推理界』1968年7月号、pp.31-32) 中島河太郎(1974)「台湾の偵探・武俠小説」(『推理文学』第16号、1974年5月、pp.30-31) 中島河太郎(1987)「台湾の推理小説」(『日本推理作家協会会報』1987年10月号、466号) 1980年代以降の台湾ミステリ【中国語】 作成:既晴、監修:杜鵑窩人「台灣推理文學年表」(林斯諺『雨夜莊謀殺案』巻末) 【中国語】 杜鵑窩人「台灣推理創作里程碑」(『台灣推理作家協會傑作選 1』台湾推理作家協会編、2008年3月、pp.5-20) 21世紀の台湾ミステリ事情『本格ミステリー・ワールド』に掲載ミスター・ペッツ(2007)「台湾ミステリー事情2007」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2008』南雲堂、2007年12月、pp.156-157) ミスター・ペッツ(2008)「台湾ミステリー事情2008」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2009』南雲堂、2008年12月、pp.166-167) 寵物先生(ミスター・ペッツ)(2009)「受賞のことばと2009年台湾ミステリーの発展」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2010』南雲堂、2009年12月、pp.22-26) 陳國偉(2010)「台湾ミステリー事情」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2011』南雲堂、2010年12月、pp.159-160) 陳國偉(訳 洪蕙玲)(2011)「台湾ミステリー事情」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2012』南雲堂、2011年12月、pp.191-192) 「黒蜘蛛クラブの挨拶」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2012』南雲堂、2011年12月、pp.226-228) - 台湾推理作家協会会員の張東君が台湾の若手ミステリ作家について寄稿 その他小泉優(2010)「この台湾ミステリーがすごい!」(萌えるアジアNo.8『萌える台湾読本2010』 発行人:小泉優、発行所:萌えるアジア、2010年7月、pp.4-16) 小泉優(2010)『この台湾ミステリーがすごい! 2010』(発行人:小泉優、発行所:萌えるアジア、2010年11月、全36ページ)「こんなにハイレベル! 台湾ミステリー小説」pp.6-19 「たったこれだけ!? 日本語翻訳版」pp.20-23 「台湾ミステリーの歴史」pp.24-25上記の『萌える台湾読本2010』に収録された特集記事「この台湾ミステリーがすごい!」の拡大版。 張筱森(ちょう しょうしん)(2011)「二〇一一年台湾ミステリ事情」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年2月号、pp.22-25) 台湾探偵小説の周辺 20世紀前半の台湾通俗文学(探偵小説にも言及あり)中島利郎(2002)「日本統治期台湾の「大衆文学」」(『日本統治期台湾文学集成7 台湾通俗文学集 一』緑蔭書房、2002年11月、pp.347-372)『日本統治期台湾文学集成8 台湾通俗文学集 二』にもまったく同じものが収録されている。 中島利郎編(2002)「日本統治期台湾通俗文学目録」(『日本統治期台湾文学集成7 台湾通俗文学集 一』緑蔭書房、2002年11月、pp.373-390)探偵小説については「台湾探偵小説年表」にまとめられているためこちらのリストからは探偵小説は外されているが、こちらのリストでも探偵小説に近いと思われる作品をいくつか見出すことができる。 黄美娥・黄英哲(翻訳 青木沙弥香)(2007)「〈台湾漢文通俗小説集一〉解説」(『日本統治期台湾文学集成24 台湾漢文通俗小説集 一』緑蔭書房、2007年2月、pp.477-494) 黄美娥・黄英哲(翻訳 青木沙弥香)(2007)「〈台湾漢文通俗小説集二〉解説」(『日本統治期台湾文学集成25 台湾漢文通俗小説集 二』緑蔭書房、2007年2月、pp.403-426)上の2つの解説は前半はまったく同じもので、後半の収録作品解説の部分だけ内容が異なる。 20世紀前半の台湾の文芸誌『台湾鉄道』中島利郎(2007)「雑誌『台湾鉄道』解説」(『日本統治期台湾文学集成21 「台湾鉄道」作品集 一』緑蔭書房、2007年2月、pp.373-392)『日本統治期台湾文学集成22 「台湾鉄道」作品集 二』にも同じものが収録されている。 中島利郎編(2007)「『台湾鉄道』文芸関係目録(伝統文学は除く)」(『日本統治期台湾文学集成21 「台湾鉄道」作品集 一』緑蔭書房、2007年2月、pp.393-408) 作家論 金関丈夫およびその作品について浦谷一弘(2004)「植民地統治期〈台湾〉の探偵小説 ―林熊生『龍山寺の曹老人』―」(花園大学国文学会編『花園大学国文学論究』第32号、2004年12月、pp.57-89) 葉歩月およびその作品について下村作次郎(2003)「葉歩月の文学」(『日本統治期台湾文学集成19 葉歩月作品集一』緑蔭書房、2003年7月、pp.327-337) 下村作次郎(2003)「葉歩月の大河小説『七色の心』」(『日本統治期台湾文学集成20 葉歩月作品集二』緑蔭書房、2003年7月、pp.527-538) 葉思婉・周原七朗編(2003)「葉歩月年譜」および「葉歩月著作年譜(未定稿)」(『日本統治期台湾文学集成19 葉歩月作品集一』緑蔭書房、2003年7月、pp.339-346、pp.347-351) 島崎博氏に関連する文献 島崎博氏へのインタビュー2004年11月22日収録 「「幻影城」編集長 島崎博さんに聞く」(「幻影城の時代」の会編『幻影城の時代』回顧編、エディション・プヒプヒ、2006年12月、pp.10-56/『幻影城の時代 完全版』pp.310-340に再録)インタビュアー 岩堀泰雄、石井春生 インタビュー日不明 「ベテランインタビュー 島崎博」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2008』南雲堂、2007年12月)pp.148-155(インタビュアー つずみ綾) 2008年4月18、19日収録 「"もう一人の島崎博"が欲しかった 島崎博インタビュー PART II」(本多正一編『幻影城の時代 完全版』講談社 講談社BOX、2008年12月)pp.341-353インタビュアー 沢田安史、新保博久、本多正一 2008年4月収録 「Editor×Editor 『幻影城』編集長 島崎博」(講談社『ファウスト』Vol.7、2008年8月)pp.1094-1112/インタビュアー 太田克史 2004年以降の島崎博氏執筆の記事島崎博(2004)「台湾 冬の時代経て、今、第2次ブーム 日本ミステリー小説事情」(『毎日新聞』2004年12月28日夕刊 6面) 【中国語】 傅博(2009)「推理小說縱橫談」(傅博『謎詭‧偵探‧推理』序文) 【中国語】 傅博(2009)「林佛兒的推理文學軌跡」(林佛兒『美人捲珠簾』序文) 【中国語】 傅博(2010)「最具潛力之新世代推理作家──林斯諺」(林斯諺『芭達雅血咒』序文) - taipeimonochromeさんによる翻訳 島崎博氏の講演・対談「島崎博が語る日本ミステリin台湾」(構成 末國善己)(探偵小説研究会編『2009 本格ミステリ・ベスト10』原書房、2008年12月)pp.194-1972008年9月20日、日本推理作家協会事務局で開催された「土曜サロン」での談話をまとめたもの 関連サイト:日本推理作家協会会報2008年11月号、「台湾における日本ミステリー出版事情 土曜サロン・第一六五回 二〇〇八年九月二〇日」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の一」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の二」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の三」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の四」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の五」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の六」 「島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の七」 島崎博氏に言及した文献等山村正夫(1988)「異色探偵専門誌『幻影城』の創刊」(山村正夫『推理文壇戦後史 4』双葉社、1989年、pp.203-224)※初出は『小説推理』、号数未調査 権田萬治(1993)「台湾に帰った友」(『日本経済新聞』1993年12月10日朝刊、40面) 権田萬治(1994)「泡坂妻夫と雑誌『幻影城』」(泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』(創元推理文庫、1994年)解説、pp.71-81) 新聞記事「顔 島崎博さん 75」(『読売新聞』2008年9月25日朝刊 2面) 「『幻影城』元編集長の島崎博さん29年ぶり来日 本格ミステリ大賞特別賞贈呈」(『毎日新聞』2008年9月29日夕刊 4面) 島崎博氏の台湾での仕事をまとめたリスト野地嘉文(2006)「島崎博の仕事リスト抄 2.台湾編」(「幻影城の時代」の会編『幻影城の時代』資料編、2006年12月)pp.24-32 島田荘司推理小説賞に関連する文献 第1回島田荘司賞 募集要項「第一回島田荘司推理小説賞募集要項」(日本語訳)島田荘司ウェブサイト「WS刊島田荘司」に掲載の日本語訳。 第1回島田荘司推理小説賞 選評島田荘司(2009)「いま、アジアのミステリーに何が起きているのか」(文藝春秋『オール讀物』2009年11月号(2009年10月)) pp.446-453受賞作の選評部分は寵物先生『虚擬街頭漂流記』(文藝春秋、2010年)巻末に転載されている。 この記事の抜粋は文藝春秋公式サイト内の『虚擬街頭漂流記』特設サイトでも読むことができる(『虚擬街頭漂流記』巻末の抜粋とは違う箇所) 第1回授賞式のレポート執筆者不明「第一回島田荘司推理小説賞レポート in台北」(東京創元社『ミステリーズ!』vol.37 OCTOBER 2009、2009年10月、pp.320-321) 冬陽(2009)「第一回島田荘司推理小説賞受賞(ママ)式レポート」 (島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド2010』南雲堂、2009年12月)pp.18-21 第1回受賞者と島田荘司の対談島田荘司、寵物先生(ミスターペッツ)「スペシャル対談 島田荘司×寵物先生(ミスターペッツ) アジアから現れた本格ミステリーの超新星」(構成 澤島優子)(文藝春秋PR誌『本の話』2010年5月号、pp.2-6)同じ対談が文藝春秋の特設サイト「寵物先生(ミスターぺッツ)『虚擬街頭漂流記』|特設サイト|文藝春秋」(2010年4月8日サイトオープン)にも掲載されているが、末尾の5分の1ほどがカットされている。 その他 その他「綾辻的台湾事情 ―日本にいちばん近いミステリ好きの国」(スニーカー・ミステリー倶楽部編『綾辻行人 ミステリ作家徹底解剖』角川書店、2002年10月、pp.138-139) 有栖川有栖(2005)「新本格推理作家的台灣體驗」(講談社『メフィスト』2005年5月増刊号、2005年4月、pp.42-55) 浦谷一弘(2006)「台湾とミステリ」(探偵小説研究会編 『2007 本格ミステリ・ベスト10』原書房、2006年12月)p.144 戸川安宣(2008)「台湾ミステリ紀行」(東京創元社『ミステリーズ!』vol.29 JUNE 2008(2008年6月))pp.282-285 洪蕙玲(2008)「世界のミステリ雑誌 台湾」(早川書房『ハヤカワミステリマガジン』2009年1月号(2008年11月))pp.70-71 シンポジウム「越境する探偵小説――日本と台湾の異文化交流」第二部「柄刀一氏を囲んでの意見交換会」レポート(探偵小説研究会『CRITICA』第5号、2010年8月)pp.106-128、文字起こし・編集:諸岡卓真井上貴翔、大森滋樹(探偵小説研究会)、押野武志、金儒農、高嘉励、朱恵足、張麗嫺(独歩文化)、陳國偉、柄刀一、成田大典、藤井得弘、諸岡卓真(探偵小説研究会)、吉田司雄 未読【中国語】 日治時期台灣偵探敘事的發生與形成
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『中国ミステリ史 第一章』(19世紀末~1910年代) 『中国ミステリ史 第二章』(1910年代~1940年代) 『中国ミステリ史 第三章』(1940年代末~1970年代) 『中国ミステリ史 第四章』(1970年代末~1990年代) 『中国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭) 『中国ミステリ史 第六章』(現代) 『読書案内』 参考文献 中国ミステリ I (江戸川乱歩とその周辺)東震太郎(1947)講演「中国の探偵小説界」(「第13回土曜会記録」『探偵作家クラブ会報』第2号、1947年7月) 東震太郎(1947)「中国の探偵小説」(『探偵作家クラブ会報』第2号、1947年7月) 柴田天馬(1947)講演「中国文学に現れた犯罪、探偵」(「第18回土曜会記録」『探偵作家クラブ会報』第7号、1947年12月) 江戸川乱歩(1949)「福爾摩斯(ホルムス)偵探案全集」(『探偵作家クラブ会報』第30号、1949年11月) 江戸川乱歩(1950)「中国十八世紀の長篇探偵小説」(『探偵作家クラブ会報』第33号、1950年2月) ファン・ヒューリック(1950)「中国の推理小説について」(『朝日評論』1950年6月号、朝日新聞社) - 実際の表記は「ヴァン・グーリク」 江戸川乱歩、ロバート・ファン・ヒューリックほか(1950)座談会「中国の探偵小説を語る」(『宝石』1950年9月号、pp.130-147)ロバート・ファン・ヒューリック『柳園の壺』(早川書房、2005年)巻末に、三分の一程度に縮められたものが収録されている。 『探偵作家クラブ会報』第37号(1950年6月)で「第47回土曜会記録」として座談会の要旨がまとめられている。 江戸川乱歩(1956)「香港の探偵雑誌」(『日本探偵作家クラブ会報』第110号、1956年7月) 中国ミステリ II (『ミステリマガジン』、20世紀末まで)TEN(1964)「香港偵探小説巡羅」(『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』1964年2月号、p.25、「マガジン・パトロール」コーナー) ジェフリー・C・キンクリー(1986)「ポスト毛の中国探偵小説」(『ミステリマガジン』1986年3月号、pp.108-109) 西夜朗(1989)「香港で見つけた翻訳小説シリーズ」(『ミステリマガジン』1989年12月号、pp.106-107) 狩井善人(1991)「ありました。香港の名作ミステリ・シリーズ」(『ミステリマガジン』1991年5月号、pp.106-107) H・K(1999)「中国語圏のミステリ」(『ミステリマガジン』1999年3月号、p.48) 中国ミステリ III (公案小説の周辺)実吉達郎(1988)「4章 包孝粛・ホームズ・越前守 ―なぜ、中国に名探偵は生れなかったか」(実吉達郎『シャーロック・ホームズと金田一耕助』毎日新聞社、1988年8月、pp.89-118) 芦辺拓(1995)「重たい本をカバンに詰めて 一探偵作家の中国小説メモ」(『幻想文学』第44号、pp.110-115) 中国ミステリ IV (21世紀以降)李長声(リー チャンション)(入交みず 訳)(2002)「中国のミステリー事情 大衆文学への渇望」 (光文社『ジャーロ』7号(2002年春号))pp.273-277 井波律子(2003)『中国ミステリー探訪 ―千年の事件簿から』日本放送出版協会、2003年11月 ※第4回(2004年)本格ミステリ大賞 評論・研究部門候補作 池田智恵(2009)「発展途上の中国ミステリー」 (水天一色『アジア本格リーグ4 蝶の夢 乱神館記』講談社、2009年11月)pp.383-394 天蠍小豬(2009)「中国ミステリー事情」 (島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2010』南雲堂、2009年12月)pp.27-30 「黒蜘蛛クラブの挨拶」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2012』南雲堂、2011年12月、pp.226-228) - ジャーナリストの臧歆春が中国の最新ミステリについて寄稿 中国ミステリ V (『ミステリマガジン』、21世紀)「海外ベストセラー」コーナー、2008年6月号、2008年12月号、2009年6月号、2009年12月号、2010年6月号で中国amazonのミステリ売り上げランキングを紹介 松川良宏(2011)「東アジア推理小説の日本における受容史」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年2月号、pp.12-19) 阿井幸作(2011)「昨今の中国ミステリ事情について」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年2月号、pp.26-29) 阿井幸作(2012)「《青春》では言い尽くせない不良たちの学園ミステリ」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年3月号、p.237) - 王稼駿『明暗線』レビュー 中国ミステリ VI (外国語文献)曹正文(1998)『世界偵探小説史略』 第十五章 中国侦探小说概况「第一节 中国侦探小说的起源与发展」 「第二节 程小青的侦探小说」 「第三节 旧中国其他侦探小说家概述」 任翔(2002)「凭栏十里芰荷香(代序)」 (『20世纪中国侦探小说精选』(全4巻、2002年)の序文) 李卫国(2006)「公安法制小说研究之概述」 汪政(김택규 訳)(2006年ごろ?)「중국현대추리소설론(中國現代推理小説論)」 (韓国推理作家協会『계간 미스터리(季刊ミステリ)』2007年夏号) 老蔡、杜撰(2009)「百年华文推理简史」 (中国の推理作家・杜撰(ずさん)氏のブログに連載されたもの)老蔡、杜撰「引言」 老蔡「一、中国侦探小说的起源」 老蔡「二、程小青与霍桑(上)」、「二、程小青与霍桑(下)」 老蔡「三、孙了红和他的“反侦探小说”」 老蔡「四、民国时期的其他原创作品(上)」、「四、民国时期的其他原创作品(下)」 老蔡「五、民国时期的侦探杂志(上)」、「五、民国时期的侦探杂志(下)」 老蔡「六、新中国的反特小说」 老蔡「七、“文革”中的地下侦探小说」 老蔡「八、“文革”后的侦探小说创作浪潮(上)」、「八、“文革”后的侦探小说创作浪潮(中)」、「八、“文革”后的侦探小说创作浪潮(下)」 杜撰「九、网络推理小说的创作热潮」 杜撰「十、《岁月·推理》与现今华文推理」 中国における日本ミステリ『第六回松本清張研究奨励事業研究報告書 日本の探偵小説・推理小説と中国 ――その中国における受容と意味 共同研究』(北九州市立松本清張記念館、2006年1月)王成「中国における日本探偵・推理小説の受容とその意味」(pp.2-12) 林濤「中国における日本女性推理小説の翻訳と紹介」(pp.13-22) 王中忱「中国における日本の探偵・推理小説翻訳作品目録」(pp.45-106) 中国公案小説とその日本への影響江戸川乱歩(1951)「原始法医学書と探偵小説」(『新版 探偵小説の「謎」』現代教養文庫、1999年、pp.196-200/初出:『自警』1951年9月号(未確認)) 荘司格一(1991)「裁判を通して社会の実相を伝える稀覯本の数々」(『翻訳の世界』1991年7月号、p.66、[国別・地域別/未訳ミステリ紹介]中国) 北村薫「中国公案小説と日本最初の本格ミステリ」(『謎のギャラリー 名作博本館』新潮文庫、2002年、pp.51-76)※初出未確認 訳者あとがき類(中国ミステリ関連)張平(ジャンピン)『十面埋伏』(じゅうめんまいふく)(新風舎、2005年11月、pp.391-394) ジョー・シャーロン『上海の紅い死』(下巻)(田中昌太郎訳、早川書房 ハヤカワ・ミステリ文庫、2001年11月、pp.339-345) ダイアン・ウェイ・リャン『翡翠の眼』(羽地和世訳、ランダムハウス講談社、2008年6月、pp.309-311) 追加1岡本綺堂「怪奇探偵話」(赤膏薬 / 支那の探偵小説 / 怪奇一夕話) 水島爾保布「偽雷神(支那の探偵奇譚)」(『探偵文藝』1925年8月号) 橋本五郎「支那の探偵小説」(『探偵クラブ』1933年3月) 橋本五郎「支那偵探案「仙城奇案」」(『月刊探偵』1936年6月号) 橋本五郎「面白い話」(『真珠』1947年4月) 追加2無署名記事「中国の探偵小説出版」(『出版ニュース』1950年3月下旬号、p.7) 陳舜臣「ファン・チェン・ファン」(『日本推理作家協会会報』1979年7月号、367号、p.3) 鮎川哲也「ちょっとしたミステリー」(『日本推理作家協会会報』1981年1月号、385号、pp.3-4) - 香港の探偵雑誌にほんの少し言及 林久之「驚険小説在中国 現代中国のミステリー」(『EQ』1981年11月号、pp.161-168) 石沢英太郎「中国の読者からの手紙」(『日本推理作家協会会報』1981年12月号、396号、p.2) 石沢英太郎「中国の翻訳者からの手紙」(『日本推理作家協会会報』1982年1月号、397号、p.2) 中島河太郎「中国刊行の「日本短篇推理小説選」」(『日本推理作家協会会報』1982年9月号、405号、p.4) 井波律子「「中国ミステリー」の愉しみ」(『岩波講座 文学6 虚構の愉しみ』岩波書店、2003年12月、月報pp.1-3) ソ連ミステリ (主なもの。ソ連ミステリに関する日本語文献の一覧は「こちら」で示している)江戸川乱歩(1956)「探偵小説の世界的交歓 チェーホフの長篇探偵(?)小説」(『宝石』1956年10月号)pp.68-77 - ロマン・キムからの第一信の全文が転載されている(原卓也訳) 江戸川乱歩(1957a)「ソ連と中共の近況 ――ロマン・キム氏から第二信――」(『宝石』1957年1月号)pp.137-140 - ロマン・キムからの第二信の全文が転載されている(原卓也訳) 江戸川乱歩(1957b)「海外近事 ――アメリカ、ソ連、オランダ――」(『宝石』1957年8月号)pp.238-243 - ロマン・キムからの第三信の大部分が転載されている(木村浩訳) 袋一平(1957)「ソ連の探偵小説界近況」(『日本探偵作家クラブ会報』第120号、1957年7月) 飯田規和(1965)「ソ連の探偵小説」(『EQMM』1965年4月号)pp.70-72 飯田規和(1972)「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』早川書房、1972年)月報 pp.3-4 その他ミステリ中島河太郎(1993)『日本推理小説史 第一巻』東京創元社、1993年4月「第六章 探偵実話とホームズの移入」(初出:『宝石』1962年6月号(未見)) 「第十八章 綺堂の捕物帳創始」(初出:『宝石』1963年4月号(未見)) 「第二十七章 乱歩出現の前夜」(初出:『宝石』1963年11月号(未見)) 郷原宏(2010)「シャーロック・ホームズの来日」(『物語日本推理小説史』講談社、2010年11月) 玉田誠(2009)「台湾の本格ミステリー事情」 (藍霄『アジア本格リーグ1 錯誤配置』講談社、2009年9月)pp.307-315 (台湾) 米津篤八(2009)「韓国ミステリー百年の現在」 (李垠『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月)pp.231-237 (韓国(朝鮮半島)) 부끄럼(bookgram)(2009)「셜록 홈스 시리즈 한국어 번역 연표(Sherlock Holmes series 韓國語 飜譯 年表)」 (韓国の国文学研究者(博士号取得)パク・チニョン(박진영)氏のブログの記事 宇戸清治(2009)「タイ・ミステリーの過去と現在」 (チャッタワーラック『アジア本格リーグ2 二つの時計の謎』講談社、2009年9月)pp.275-283 (タイ) 柏村彰夫(2010)「インドネシアの推理小説」 (S・マラ・Gd『アジア本格リーグ5 殺意の架け橋』講談社、2010年3月)pp.387-395 (マレーシア・インドネシア) 中国語圏SF武田雅哉、林久之(2001)『中国科学幻想文学館』(上下巻)大修館書店、2001年12月 Wikipediaにリンクを貼った箇所もあるが、情報源としては利用していない。 以下、未見 阿部泰記「中国近代における探偵小説の創作」(樋口進先生古稀記念論集刊行会編『中国現代文学論集』中国書店、1990年4月)
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プロフィール カゲ◎●/カタナ△/チャクラ▼ ?才、女性 概要 法外な報酬のかわりに、いかなる困難な標的も暗殺してきた凄腕の暗殺者にしてサイバーサイコ。 いまや、彼女はステラ・コンパニオンの専属エージェントとして、その仕事を遂行しています。 彼女を専属し、その行動を制限出来るほどの報酬はいったいどれほどの物になるのか、それは想像も出来ません。 関連情報 トーキョーN◎VA ステラ・コンパニオン メニューに戻る
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概要 ステラ・コンパニオンは、都市集約を完遂した都市に、総合運営本部及び運営部をおいています。 中でも、ラス=ヴェガス、モウコH∀∀N、ミトラスEΔENの3都市にだけ置かれている総合運営本部は、事実上ステラ・コンパニオンの最上層部といえるでしょう。 総合運営本部長 ラス=ヴェガス総合運営本部長、ゴールドルナ モウコH∀∀N総合運営本部長、紅夢(ホンルォ) ミトラスEΔEN総合運営本部長、アオサギ 関連情報 ステラ・コンパニオン ステラ・コンパニオン代表、クロボシ メニューに戻る
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三國志 【さんごくし】 ジャンル 歴史シミュレーション 対応機種 PC-8801、PC-9801、X1、X68000MZ-2500、FM-7、MSX、MSX2FM-16β、Windows 95~XP、Windows 7~10ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン 発売・開発元 光栄 発売日 【PC88】1985年12月10日【PC98】1986年4月30日 定価 【PC98】14,800円(税別) 判定 良作 三國志シリーズ 概要 武将システム 内政 戦争 本作特有の特徴(現象) 評価点 問題点 総評 他機種での三國志 概要 2022年現在も続く、光栄(現:コーエーテクモゲームス)の代表的な歴史シミュレーションゲーム『三國志』シリーズの元祖にあたる作品。 同時に国内初の『三国志演義』を題材としたシミュレーションゲームでもある。 2年前に発売された『信長の野望』をベースに、そちらではまだ見られなかった「配下武将」の概念を取り入れ、 後漢~三国時代を舞台にした5つのシナリオ(*1)を総勢255名の武将が入り乱れて覇を競う。 なお、本作は多数のPCやCS機に移植され、機種によって仕様に大きく差がある為、本項では特に断りがない限りPC98版(及び復刻版)を基とする。 本作のシナリオは5つ 189年 董卓打倒 195年 曹操の台頭 201年 新時代の幕開け 208年 孔明の出盧 215年 三国の時代 各シナリオで最大8勢力の中からプレイヤーが自身が担当する「英雄(*2)」を選択する。 本作のプレイ人数は0~8人。0人にした場合はCPUによるデモプレイとなる。 CPUの強さは1~10と10段階、加えて好戦的か理知的かを選ぶ事が可能。 シナリオによっては8勢力以上の勢力が登場するが、彼らをプレイヤーとして選ぶことは出来ない。 開始時にプレイヤーの選ぶ「英雄」のみ、基礎能力から-5~+5の変動が起こるルーレット方式の能力変更を行う。気に入らなければ何度でもやり直すことが出来る。 本作の「英雄」は全体的に能力が高く、特に能力値が95以上の場合は最大の100になる可能性もある為、粘れば「知力100の劉備」を作るといった事が出来る。 同様の試みは『信長の野望』や『蒼き狼と白き牝鹿』でも行われており、当時の光栄のSLGお馴染みの仕様となっている。 本作独自の要素として各シナリオにクリア条件が設定されている。 例えばシナリオ1の場合、「30国以上の国を支配しつつ、洛陽(20国)、長安(21国)も支配し、そのいずれかに君主がいる」と目標達成となる。目標が達成されると簡易的な祝福画面の後にシナリオ5に移行する。なお、便宜上はシナリオ5だが年代や勢力が変わるわけではなく、シナリオ5の目標(全58国の支配)が最終目標となる。 最終的に58国の全てを支配する事でエンディングを迎える。 武将システム 本作を象徴するシステムであり、プレイヤーが担当する「英雄」を含む全ての登場人物が「武将」として登場する。全ての武将は顔グラフィックを持ち、次のパラメーターで表現されている。 年齢 武将の年齢、マスクデータとして武将毎に寿命となる年齢が定められており、寿命の年齢を超えると「身体」が減っていく。 身体 武将の寿命に関わる。先述の通り寿命年齢を超えると下がり始め、30を切ると危険水域となり、病死する可能性が高まる。「疫病」で下がる場合もあり、疫病によって武将が寿命よりも早く死んでしまう事も起こりうる。 知力 本作では後のシリーズにおける「政治力」も兼ねており、内政、計略、外交などの様々なコマンドに影響する。知力が高い武将が所属国にいる場合、書物を他の武将に施す事で上げる事が出来る。 武力 軍事関係に影響する。後のシリーズにおける「統率力」の意味合いも兼ねている。戦争で敵を殲滅すると上昇、逆に殲滅されると下降する。 カリスマ 後のシリーズにおける「魅力」にあたる。施しの際の忠誠度の上昇や、人材登用の成功率などに影響する。 運勢 武将の運のよさ。運の悪い武将はコマンドを行った際に捕縛されやすい等の影響がある。史実あるいは演義で討ち取られたり非業の死を遂げた武将は低い傾向がある。 経験 コマンドを行う事で上昇。内政や捜索時には知力か経験の高い方が参照される。 水軍 「扱える」、「扱えない」のいずれかが設定されている。扱える場合は水上の移動に必要な機動力が減る。 「知力」が90を超えた武将は軍師の資格を持ち、軍師がいる国でのコマンド実行の際に、成功するかどうかの助言をしてくれるようになる(*3)。当然知力が高いほど、助言は正確になる。 諸葛亮の知力は最大の100である為、絶対に助言が当たる軍師として重宝された。逆に90付近のギリギリの軍師の助言は外れることが多く、アテにならない。 各国には最低一人の武将を配属する必要があり、武将がいない国は「空白地」として扱われる。その為、時間経過等によって登場武将の総数が58人未満になった場合は最終的なクリアは不可能になる。 いずれの勢力にも属さない未発見武将も存在し、「人材捜索」を行った際に在野武将として発見される場合があり、改めて登用を行う事で配下にすることが出来る。 内政 『信長の野望』と同様に、本作は領国経営(政略画面)と戦争(戦争画面)の2つに分けて進行する。 政略画面では武将数に関わらず、国1つにつき、ひと月に1コマンド行う事が可能。属領が多いほど、ひと月に多くのコマンドを行う事が出来る。 また、後の作品と異なり、ひと月の間に回ってくる順番は「国単位」となっている。この為、コマンドを実行して別の属領に順番が回るまでに別の勢力の国がコマンドを実行することもある。 コマンドの内容は武将に関するもの(移動、輸送、人材登用、施し)、内政に関するもの(洪水対策、開発、施し)、軍事に関するもの(戦争、兵士を鍛える、築城、人材登用)、密計、外交交渉、物資の取引など、20個にわたる多彩なコマンドが用意されている。 「施し」は武将に対して行うか、民に対して行うかなど、二重の意味を持つコマンドもある。 「様子を見る」は自他国の国や武将の状態を調べるコマンドであり、他国を調べた場合はコマンド消費となるが、終了させるまで何度でも他国の様子を調べる事が可能なので偵察用の国を作るといった戦略も必要。 1年は12ヶ月で句切られ、3ヶ月単位で季節が変わる。秋には収入が得られ、冬には移動がしづらくなるといった特徴がある。 各季節のはじめには「いなご」「洪水」「疫病」「地震」といった災害が起こることもある。 災害は後のシリーズに比べてもかなり凶悪で、一度受けるだけで各パラメーターが壊滅的に下がる。「住民反乱」や「地震」が起こった場合、武将が死んでしまう場合もある。 外交交渉は後のシリーズとは異なり、他勢力と明確に同盟を結ぶといったことは出来ず、借金や兵糧の借り入れ、贈物、婚姻、共同作戦、停戦を行う。 交渉を重ねる事で「敵対心」が下がり、関係が良くなっていく。関係を良くすることで「互いの土地を交換」したり「物資の借り入れを行う」といった他のシリーズでは見られないコマンドも行う事が出来る。 逆に攻めたり、武将を引き抜いたりして「敵対心」が高くなった勢力に交渉しに行くと殺される場合もあるので注意。 「共同作戦」も他の君主に対しての「敵対心」を上げる効果にとどまっている(*4)ため、約束後に攻めなかったからといって咎められたり、戦争後に報酬を渡す必要はない。 「婚姻」は英雄の娘を嫁がせることで「敵対心」を大幅に下げる強力な効果を持つが、婚姻を結んだ勢力を攻めると英雄の「カリスマ」が下がってしまう(*5)。また、娘の数には限りはある。 「敵対心」を最大まで下げると「土地を要求」する事が出来る。金か娘か玉璽を渡すといった条件はあるものの、確実に国を一つもらう事が出来るという強力なもの。逆にこちらが受けた場合も断れないので、安易に贈物を受け取り続けていると知らぬ間に都市を渡すハメになってしまう。 大国に囲まれてどうしようも無くなった時は全ての国を捨てて「放浪」を行うことも可能。 放浪するとターン毎に国から国へと移動をするか、隠遁をするかといった選択を行う。移動をする度に義勇兵が集まり、自身で「旗揚げ」を決意するか、20,000を超える義勇兵が集まった時点で「旗揚げ」が行われる。 しかし、他の「英雄」の治める国に移動した場合は捕まる場合もあり、殺されて世代交代になる場合もある。 「旗揚げ」が行われる国を他勢力が治めていた場合はその国をめぐって戦争になり、太守を破ることで晴れて一勢力として返り咲くことが出来る。 安全とは行かないものの捲土重来を図る事が出来るので弱小勢力で遊ぶ場合は選択肢に入ることもある。 戦争 他国の領土に対して「戦争」を行うと戦争画面に切り替わる。戦場はHEXマップで表現される。 武将それぞれが最大20,000までの兵を持ち、攻撃側と守備側でそれぞれ最大10部隊まで参戦する事が可能。 戦闘は1ターンにつき、3日経過し30日を超えると長期戦となり、来月へと持ち越される。戦争はいずれかの勢力が勝利条件を満たすまで何ヶ月でも継続する。 攻撃側:マップ上に存在する全ての城を占領する。 守備側:攻撃側の総大将(攻撃側の部隊に「英雄」がいない場合は総大将として選ばれた武将)を倒す。 共通:すべての部隊が壊滅(退却)、兵糧か軍資金が0になる、総大将(英雄)の部隊が壊滅。 攻撃側のみ、マップに部隊を配置した後、「兵糧」も配置する必要がある。守備側が「兵糧」の上に移動した場合、兵糧を全て奪う事が可能。そのまま次のターンまで持ちせば即座に攻撃側の敗北となるので実質勝利条件ともなりうる。 ターン毎に兵糧に加えて「軍資金」も微量に消費されていくため、うっかり軍資金無しで出陣すると1ターンで敗北するハメになる(*6)。 戦闘中のコマンドは「移動せよ(通常、罵りながら移動、散開)」「攻撃せよ(通常攻撃・一斉攻撃・突撃・計略・火計)」「退却せよ」「降参せよ」「状態を報告せよ」から選択する。 「散開」は部隊を2つに分ける。移動できなくなるが、城を占領する、一斉攻撃の効果を高めるといった使い方が可能。 「突撃」は他のシリーズと異なり、行ったが最後、どちらかの部隊が殲滅するまで攻撃を続ける。殲滅した(された)場合、武将は高確率で首をはねられて死亡するか、捕虜になる。突撃を実行した側が生き残るとその武将の武力が上がるうえ上昇幅も結構大きいので、結構簡単に武力100の曹豹を作ることも可能。本作の戦争は時間の経過が早いので1ターンで敵を殲滅出来るという点は大きいが、武将が死にやすい上に損害も馬鹿にならない。通常攻撃(一斉攻撃)で殲滅した場合は武将を確実に捕らえることができるので、どうしても欲しい人材の場合は突撃を控えた方が良い。 「火計」に成功すると部隊やマップが火に包まれる。部隊が火に包まれた状態でターンが経過すると問答無用で武将が部隊ごと焼け死ぬというシリーズを通しても最強の火計である為、これの扱いでいくらでも戦況を変える事が出来る。 「計略」はダメージを与えるとともに「機動力を0に落とす」という効果を持つので「火計」が同時に決まると退却か焼け死ぬかあるいは降参するしかなくなるという凶悪なコンボになる(*7)。 「降参」は実行すると即捕虜になる。使用する機会は計略 火計を喰らった挙句退却先がない場合に焼死を回避する緊急手段くらいだが、忠誠度が真逆になるので、能力が低く兵力が200で忠誠度100の部隊を降参させて暫くのターン相手の兵糧を減らすという戦術も取れる(但し寝返りはランダムの為リスクを伴う)。(*8) 部隊を殲滅されるか、退却に失敗し捕虜になった武将は即座に処置(頸を斬る、逃がす、召し抱える)を行う。召し抱えた場合は次のターンに戦場に配置する。 忠誠度が低い武将の場合はターンの経過時に敵方へと寝返る場合がある為、召し抱えたばかりの捕虜や忠誠度が低い部隊が寝返って兵糧を奪われるといったアクシデントが発生することも……。本作では義理の概念はまだ無い為、三国志では義理堅い事で有名な関羽といった名将でも忠誠心が低ければすぐに裏切る。 本作にはZOCの概念(*9)は無く、隣接直後の攻撃も無い。その為、兵士0の部隊でも敵をすり抜けて兵糧を狙いに行ったり、「火計」や「計略」をしかけるチャンスがある。 本作では戦争中は10ターンでひと月が経過するため、長期戦になる事が非常に多い。長期戦となると一度政略画面に戻って政略を行った後に同じ状態から戦争が再開される。 なお、この間に他の国から援軍を送る、外交で停戦を行う、戦争中の武将を引き抜くといった手段を取る事が出来る。 部隊の能力として、「武装」「兵の忠誠度」「兵の能力」が存在する。 「武装」は攻撃力に関わる。国を「捜索」して「鉄」を見つけ、鍛冶屋に加工してもらうことで初めて上昇する。ただし、「武装」が上昇すると機動力が落ちる。 「兵の忠誠度」は部隊の機動力に関わる。武将に金や兵糧の「施し」をした場合、武将は兵にも物資を施す為、「兵の忠誠度」が上がる。その為、英雄自身にも「施し」をする事が可能となっている。 「兵の能力」も同様に部隊の機動力に関わる。「兵を鍛える(訓練)」で上昇。他のシリーズと違って、「訓練をしても部隊の攻撃力が上がるわけではない」という点に注意。 余談だが、武装が不十分な状態で兵を鍛えようとすると、軍師に「他にすることはないのですか?」と言われてしまう。これが妙に印象に残り本作を象徴する名言となっている(*10)。 本作特有の特徴(現象) 「美女」というパラメーターが存在。これは都市で「略奪」する事でしか手に入らない。 「略奪」は「都市の人口」や「民忠誠度」に加えて英雄の「カリスマ」が激減する禁断のコマンドのように思えるが、その都市の武闘派の武将の忠誠が上がって文官の忠誠が下がるといった効果もある。 その為、「略奪」をすると関羽や張飛の忠誠が上がり、李儒の忠誠が激減するといった武将のイメージとしてあり得ない珍妙な事も起こる。 具体的には武力と知力の差分によって忠誠度が上下する。その為、脳筋武将を1都市に集めて「略奪」する事で全員の忠誠をお手軽に底上げ出来るという強みもある。 また、寿命が近い高カリスマな英雄のカリスマを下げて世代交代時の武将の忠誠度の減少を抑えるという事も可能なので意外と有効なコマンドでもある。 こうして得た「美女」を「武将への施し」や「人材登用」に使うといった悪逆なプレイも本作では可能。 些細な事で武将が死にやすい。 外交交渉では使者に対する返事として「承知する」「断る」「この者を味方につける」「この者を殺す」といった選択肢が登場。 味方につける場合は「残念ですが○○は意志の固い人にございます」と断られる場合もあるが、「この者を殺す」を選んだ場合斬殺されるカットインとともに高確率で武将が切り捨てられる。な、なにをするきさまらー! また、「婚姻」を結ぶ場合は、上記の選択肢に加えて「娘ごと皆殺し」という物騒な選択肢が登場。選ぶと、姫が殺されるカットインの後、「姫様を始めとして全員殺されました。おいたわしや…」というショッキングなナレーションが入る。 どこか物悲しげな「婚姻」のBGMの上でこの選択肢なのですさまじいインパクトを放ち、語り草となっている。FC版でも存在しているが、SFC版『SUPER三國志』ではさすがにカットされた。 ちなみに敵対心が高いCPU勢力に「婚姻」の使者を送ると皆殺しにされる事がある。自分では選ばなくともCPUに選ばれて絶句したプレイヤーもおり、尚更この選択肢のインパクトを強めている。 運勢が低い武将の場合、些細な事で捕まって首を切られる事が多い。孫堅や孫策が在野武将を登用しようとして何故か捕まって処刑されるといった理不尽な目に遭うことも。 つまり、「外交」も「人材登用」も他のシリーズに比べて命がけであるという事。加えて先述の戦争でも戦死する事が多いため、些細な事で武将は死んでしまう。後半の武将不足は本作の場合は特に深刻である。 本作では国が58ヶ国に分けられているが、2016年発売の『三國志13』が60ヶ国と更新するまでシリーズ最多であった。一方、武将数255人は、本編(ナンバリングタイトル)ではシリーズ最少(*11)。しかも、1国に最低武将1人が必要なので、武将の貴重さは他作品の比では無い。 後のシリーズでも外交や人材登用中に武将が捕らえられることもあるが、確率は本作よりもかなり低く調整されており、よほど運が悪くない限りは逃げ切れる。 武将の病死の判定も厳しく、孫堅の場合は基の身体が37と低く、身体が下がり始める寿命年齢も38歳と早いために病死しやすい、特に疫病を受けると身体が30を切ってしまい、史実よりも早い年齢で死んでしまう事もしばしば。 陳珪は寿命年齢は長いものの、基の身体が22なのでシナリオ1開始後1年で病死するのが風物詩となっている。 冬に移動をしたら何故か武将の兵が壊滅的な被害を受けた! 軍師曰く「寒さで多くの兵が死ぬでしょう。」 冬に移動を行うと兵士の何割かが凍死するという仕様だが、軍師がいない国の場合は何の報告もなく兵が減るので気をつけなければならない。 評価点 マルチプレイとの相性が良い 一つの国につき、1コマンドなのでさくさくとターンが周り、後のシリーズに比べて多人数でのプレイに向いている。本作を多人数でワイワイとプレイした人は多い。 次回作以降は武将の数だけコマンドを行えたり、すべての都市の命令を終えるまでターンが回ってこない為、非操作プレイヤーの待機時間が長くなり、マルチプレイのテンポは本作ほど良くない。 全体的に演出が良い。 コマンドを実行した際はカットインが入ったり、ドット絵によるアニメーションが入ったりと演出に拘っている。 また、独特なセリフ回しも印象的。「地震発生 慌ててはなりません」「ああイナゴだ…」「住民反乱 ひどい政治をするからです!!」「人徳のなせる技です」といった印象に残るナレーションが多い。 同様に軍師のセリフも特徴的で本作の武将が単なる駒ではなく、助言をしてくれる人物であると感じさせてくれる。諸葛亮曰く「何をグズグズしているのです、戦いの手を休めてはなりません」。 本作のBGMは『信長の野望 全国版』と同様に菅野よう子氏が担当。いずれも短いながらも印象的な名曲が多い。 河北、河南地方で政略、戦争時のBGMが変わる他、英雄の国に手番が回った場合はメインテーマである「英雄のテーマ」が流れる。 『三國志X』以降の作品の起動時には本作のBGMのフレーズのアレンジがジングルとして使用されていたり、BGMそのものがアレンジして使用されている事もある。 自由度が高い 攻略するにあたっても様々な手段が用意されている。例えば「太守の"忠誠"が低いのを見計らって引き抜いてしまう」「他勢力との"敵対心"を下げて都市をもらう」「わざと貧相な都市と主要都市を交換してもらう」等といった手段で戦わずに勝つといった事も出来る。 特に最初期の頃は兵をたくさん持つ敵武将を引き抜いて、兵士を再編成で奪うといった手段で、普通に兵を雇うよりもはるかに効率よく兵力を上げる事も出来る等、攻略におけるテクニックは非常に多い。 また、相性や義理、怨みフラグといった要素がない為、武将を揃えやすいのも特徴。曹操さながらに気に入った人材を片っ端からスカウトして自分好みの優秀な家臣団を組むことも出来る。 上述の鬼畜な選択肢がある為、他のシリーズに比べて悪の道に関しても自由度が高いのも魅力。やってくる使者を斬ったり、各都市で略奪の限りを尽くして美女を奪い尽くすといった董卓のような振る舞いも出来る。 武将の個性 武将の能力に関しても自由度が高く、気に入った武将に愛着を持ちやすくなっている。 コマンドを繰り返して経験を積めば凡将でもしっかりとコマンドの効果が出せるようになる。 戦争で部隊を殲滅させまくって武力を上げ、軍師のいる国に送って「書物」を施しまくって知力を底上げするといったカスタマイズが自由に出来る。 有名武将には固有の顔グラフィックが当てられており、低い解像度でありながらもいずれも連環画をイメージとした「らしさ」が滲みでており、非常に完成度の高いグラフィックになっている。 有名とは(演義基準で)特徴的なエピソードを持つ武将であり、有能であるとは限らない。その代表例はやはり闞沢であろう。彼は能力的には凡庸な文官だが、赤壁の戦いの際、苦肉の策の一環として曹操に内通を申し出る使者として赴く際に、怪しまれずに謁見するために漁師の格好で赴いたというエピソードから、ゲームのグラフィックでも(顔自体はモブ顔だが)麦わら帽子をかぶっている。この強烈なインパクトから後のシリーズでも麦わら帽スタイルがスタンダード化し、いたって普通の文官顔が割り当てられた作品でも「麦わら帽子が見える」などと言われるまでに至った。 それ以外の武将の場合はクローン顔とも呼ばれるモンタージュグラフィックになっているが妙に弱そうな華雄、目が赤い糜芳やチョンマゲ姿の陳宮といった変なグラフィックも多い。 劉禅は劉備と顔グラフィックの輪郭がほぼ同じでありながら、顔つきが凡庸なので血はつながっているお坊ちゃんという雰囲気がにじみ出ている。 問題点 災害が厳しすぎる。 「疫病」を始めとして、「洪水」や「イナゴ」などの災害が起こると大半のパラメーター(所属都市の人口、生産力、武将の兵数)が激減してしまう。序盤の収入が少ない時などに災害を受けると致命的。 「疫病」や「イナゴ」は拡散する事があるのでギリギリ対象にならない状況でも安心できない。拡散時には高確率で発生源の都市も被害に遭うので立ち直れない程のダメージを受けたり国力の低下の煽りで洪水や住民反乱まで引き起こす結果に陥る事さえある。 住民反乱は優秀な武将であろうが運が悪ければ容赦なく殺されてしまう。 費用対効果のバランスが悪い 内政は一度に大量の金を使って行うよりも金1だけ投入を数回繰り返す方が同じか高い効果が見込めることが多かったりする。 反面、施しは一度に施したほうが効果が高いとややアンバランスな感じが否めない。 武将と指揮下の兵士は同じ施しの金で忠誠が高まるので元々忠誠の高かった武将や君主にも兵士の忠誠上昇の為に金を施さねばならない等、面倒になることも多い(*12)。 武将の数が少ない。 呂布陣営に高順が登場していなかったり、蜀に引導を渡した鄧艾や呉の第2代皇帝である孫亮といった重要武将が登場していないなど、武将の数は多いとは言えなかった。その割には呂公・趙岑などの後のシリーズでカットされるようなマイナー武将が登場していたりする。 また、最終シナリオの年代が215年と早い為、姜維や司馬昭といった後期の武将を拝むのが難しく、幻の武将とも言われる事に。 ただし、今作は初代である(そして現在ほど三国志がメジャーではなかった)のである程度メジャーだったり物語の構成で盛り上がる時代の武将がクローズアップされるのは仕方が無かったとも言える。 その数の少なさ並びに武将の死亡しやすさに加え、クリアには全58か国に最低一人は必要という過酷さが本シリーズ髄一の問題点。 代替武将を登場させたら「代替武将だけでクリア」等の縛りプレイも生まれる等、更なる良作となっていたのではないだろうか。 ハイリスクな登用 登用する際には「手紙」「金」「名馬を送る」「自ら赴く」と言う手段があるのだが手紙と金は効果が低く、名馬は補充手段が無い機種もある。そして自ら赴くは文字通り君主が身一つで彷徨くので移動中や勧誘する武将がいる国で捕まってそのまま処刑される可能性もある。 シナリオ1で賈クを引き抜こうとしていきなり捕まり君主死亡→君主交代を味わったプレイヤーは多数いると思われる。 国が増えてくると運営が面倒になる 毎回、全ての国に命令する必要がある為、抱える国が増えると入力の手間が増えて面倒になる。 委任する事で入力の手間は省けるが、方針は委任できない。そのため、太守一人しかいないのにが勝手に計略を仕掛けに行って捕まって空白都市になってしまうといった事故が多発する。これが僻地で発生するとかなり面倒。 輸送が使いづらい 離れた国に物資を送るのに輸送コマンドがあるが、山賊に奪われる確率が非常に高く、使いづらい。 隣の国ならば移動を行えば確実に物資を送ることはできるが冬の場合は兵が減るという欠点もある。 また、送れる物資は「金」「兵糧」に限定されるため、「鉄」や「美女」といった物資を移動させる手段がない。 シナリオで全ての英雄を選択できない 特に馬騰はシナリオ1から登場しているのに、選べるようになるのはシナリオ3からであり、その頃には寿命が近いという欠点を背負っていた。 公孫瓚や劉繇といった英雄は本作では一切選ぶことは出来ない。 また、シナリオ4には荊南四英傑(*13)が登場しているが、(このシナリオでは5人まで選べるので)選ぶ枠は一応余っているのに誰ひとりとして選べないという扱いを受けている(加えて張魯も選べない)。 国による国力差が大きい 特に河南地方の場合は人口が少なく、土地が貧相な上に「民の忠誠度」が低く、かつ商人がほとんど来ないという三重苦を背負っており、うまく治めることが難しくなっている。 「鉄」の産出地もばらつきがあり、全く出ない都市すらある。その場合は「武装」を上げる事が困難となり戦闘で不利になる。 一応、三国志は国力の差や豊かな土地の確保が焦点となっている場面もあるので、一概に批判できるものではないが……。 ZOC概念がないため、敵の殲滅が面倒 とにかく守備側に大量に部隊を出されると、ことごとくがすり抜けて兵糧を目指してくるため、相手にするのが面倒。 FC版の場合兵糧に陣取らず兵糧目掛けて火計を放ち続けるとCPUは兵糧奪取のみ狙うようになるので、城の数が少ない国ならそれを利用して守備武将を倒し城を占拠する戦術も取れる。 特にFC版の場合は長期戦がないため、攻撃側の部隊数が城の数より少ない状態だと、守備側は逃げまわるだけで勝てるといった問題点もある(*14)。 設定がおかしい武将が多い。 全体的に『三國志演義』の評価がされているため、魏将や呉将が軒並みザコばかりになってしまっている。 曹仁や李典といった(演義ではやられ役扱いの)魏の武将たちは「軒並みカリスマが高めで他の能力が50付近」という悲惨な能力になっている(*15)。 呂蒙の武力が47なのに、糜芳の武力が85もあるなど、全体的に疑問符がつくような妙な査定(*16)もちらほら…… 君主は全体的に過大評価となっており、特に袁術の武力95が槍玉に上がりやすい。 極めつけは袁紹軍の文官である出ると負け軍師郭図が武力90、知力43という謎査定。顔グラフィックは文官なのに、将軍の顔良(89)を上回る武力を持つ猛将となっている。同様に馬騰軍の将軍の龐徳も武力44、知力87と何故か智の人となっている(*17)。光栄はどの勢力でもクリアできるようにバランス調整を行ったと言い訳を言っているが、大きくイメージを損なってしまっている。一部の機種ではこの二将の能力に修正が加わっている(*18)。 また、孫翊(204年没)がシナリオ5(215年)でも登場している、涼州の武将の韓遂がシナリオ1では何故か劉表の配下になっているなどのミスが目立つ。 能力に関しては前期のシリーズでは毎回問題点に上がるほどの難点ではあったがシリーズが進むに連れて改善されていった。 パラメーターがシナリオ共通 兵士数や忠誠度といった武将のパラメーターがシナリオや勢力かかわらずに共通であるため、違和感が感じられる点も。 曹操陣営の忠臣のイメージが強い徐晃や張郃も忠誠度が低い状態で開始される為、後半のシナリオで始めた場合、真っ先に曹操陣営から引き抜かれる。 本作には義理のパラメーターは無く(*19)、忠誠度を上げれば盤石なので、忠誠度が低く、かつ高能力な呂布と賈詡は開始早々争奪戦になるのが常だった。特に呂布の場合は最初から20,000もの兵を連れているため、一国を獲るのに等しいという事を体現している。 兵士数も同様に固定であるため、最終シナリオでも関羽の初期兵数が500と異様に少ない。従者である周倉は1500の兵を連れているのに……。 総評 全体的に殺伐としたシビアなバランスである為、後のシリーズを知っているほど戸惑うことはあるかもしれないが、 決して難易度が高いというわけではなく、勝手がわかるようになるとシンプルなシステムも相まってテンポよくさくさくと統一する事が出来る為、何度も繰り返してプレイしたくなる魅力を持っている。 当時の『信長の野望』ではなかった武将の要素はゲーム性と世界観の両方に大きな深みをもたらし、三国志のファンはどっぷりとハマった。 また、日本初の三国志のシミュレーションゲームという点も大きく、吉川英治氏の小説や横山光輝氏の漫画やNHKの人形劇と並んで本作で三国志に興味を持った人は多く、普及に一役買った作品ともいえる。 他機種での三國志 抄本三國志(FM-7/X1等) プレイできるシナリオがシナリオ1に限定されている他、一部のコマンド(突撃、計略、略奪)などを削り、価格を8,800円と安くした廉価体験版と言える存在。また、1ドライブのPCでも動作可能であるという点も本作とは異なる。 元々の金額が高いので十分安くなってはいるのだが、やはり体験版として軽く触るには高く、ガッツリ遊ぶには物足りないというどうにも中途半端なソフトだった。 FC版 『抄本三國志』と同様にコマンドが削られているが、シナリオは全て遊ぶ事が出来る……といった本作と『抄本三國志』の折半といった内容。長期戦が出来ない代わりに1ターン1日に変更されたり、鉄産出国であれば武装を鍛冶屋から直接買えるようになったり、土地開発と洪水対策が一体化といった独特のアレンジが加えられている他、顔グラフィックの解像度が上がった事に加え、本作で見られた珍妙なクローン顔の武将も描き直されており、評判が高い。FC本体と同価格という非常に高価なソフトだが、結果的に受け入れられて多くの人に遊ばれた作品でもある。しかしCPUが君主国でもないのに武将を登用するというインチキがある。 余談になるが家庭用ゲームにおける「三国志」の商標はバンダイ(現 バンダイナムコ)が所有している。このためFC移植の際に商標を使わせてもらえるよう、光栄が任天堂の仲介でバンダイと交渉したところ、無償で商標の使用を認められたという逸話が存在する。この縁が元で現在までこの2社は良好な関係を保ち続けており、『ガンダム無双』などのコラボ作品もこの縁がなければひょっとしたら存在しなかったのかもしれない。 SUPER三國志(SFC) SFCに移植されたということで、「SUPER」という同ハード向けの移植作品によくあったそのままな名前が付けられた本作。FC版とは異なり、比較的本作に近い仕様で実装されている他、本作にはない「一騎打ち」が追加実装されており、移植よりはリメイクといった方が正しい(*20)。また、顔グラフィックが妙に濃いグラフィックに描き直されており、賛否を呼んでいる。 三國志リターンズ(Windows 95/PS/SS/Mac) 『信長の野望 リターンズ』と同様に当時のWindowsのGUIに組み直したリメイク作品。本作のBGMのほか、『II』と『III』のBGMをアレンジしてミックスした物をCD音源として使用する事が出来た。各命令はアイコンで表現されて操作性が上がっている他、メッセージも追加されている(冬に移動して兵が減った時の報告が入るようになった)など細かい点で遊びやすくなっている。また、全武将の顔グラフィックが『IV』の顔をローポリゴンに落とし込んだようなものになっているのも特徴。 SUPER三國志で修正された龐徳と郭図の能力値がオリジナルに戻っている為、再び猛将郭図で戦場を蹂躙する事が出来るようになった。 復刻版(Windows 2000/XP以降) 独自のエミュレーターでPC9801版がプレイできる復刻版が発売されている。エミュレーターによる再現となる為、当然、戦争中の移動や命令はテンキーで行う。また、『三國志30周年記念歴代タイトル全集』等にも復刻版が収録されており、2016年現在の最新のPCでも当時そのままのゲームがプレイできるのは嬉しい限り。 Steam版(Windows 7~10以降) シブサワ・コウ35周年を記念した「シブサワ・コウ アーカイブス」の第一弾として発売(*21)、SteamでのDL販売専売内容自体は上記の復刻版と同じ。